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吉田拓郎を聴いたから人生見つめ直した件(^o^)

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小栗有以(AKB48)





タイトルはもちろんNHKドラマ『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』のパクり(^o^)

で、いきなりでアレですがブログタイトルに偽りありです(^o^)
思えばまぁ私の場合、所謂拓郎世代特有の吉田拓郎を聴いて人生が変わったとか、実際に人生を見つめ直したとか、明日に向かって走ったとか(^o^)感動のあまり人生のレールを踏み外したとか諸々の有りがちな武勇伝も熱血エピソードも一切合切持ち合わせはございません(^o^)まぁ拓郎を聴いて

♪♪そうだ元気ですぅ~よ、と~~~♪♪♪

などと答えるぐらいがせいぜい関の山でしたね(^o^)

上手く言えないけれどそれでも私にとって吉田拓郎は唯一無二、特別なミュージシャンであることは間違いないです

最後のアルバムようやく一回聴きました

あれこれ考えてたら曲に集中出来ず全9曲トータル約36分はあっチュー間、あっさり終わってました(^o^)

一先ず

あまり印象に残らなかったなあ(^o^)ah~面白くなかった(^o^)

ah~~~!いかん!いかん!天下の吉田拓郎のラストアルバムがつまらないだなんて……あっちゃあならないことです(^o^)隠蔽だってなんだってやります(^o^)

でも、そうか……吉田さんは一度死んで甦ったゾンビだったな………1985年からのおおよそで37年の長い長いゾンビ音楽ライフ、長い長い余生の果てのホンとのホンとの今回が完結

余生をたっぷり生き、いよいよ死に逝くゾンビが奏でる音楽が果たして我々に響くのか?

この一聴しての、ある意味の静けさ、力のなさ、手応えのなさは?…………なるほど相応しいのかもしれない 最後の最後に 老齢ロックの夜明けに夢も希望もありはしないように?ぼやき、愚痴しかないように?(^o^)やはり所詮ゾンビはゾンビなのか?さみしく消え去るのみなのか?

ところで

前回パクった天才矢野顕子様のつぶやき、突然の小田和正さんの若かりし頃の映像を見ての一言




永遠の憧れ


もう胸キュンでした(^o^)胸キュンだけは僭越ながら天才に並びました(^o^)

私も確かに間違いなく小田さんにニュアンスは違いますが矢野顕子様同様に小田さんをそんな熱い眼差しで見つめた恥ずかしい気持ち悪い過去があったなあ…と、思い出しました

時、あたかもそんな吉田さんと小田さんの?最終局面(^o^)「LOVE LOVEあいしてる」最終回、私は素晴らしかったと思いました 私が好きだった楽しい楽しい吉田拓郎がそこにいました それは番組内容どうこうというよりは感覚、印象ですけど、悪魔でも ゾンビではあるけれど、我が国稀代のSSW開拓者吉田拓郎の最後には番組タイトルじゃないけどLOVE&リスペクトが確かに感じられて悪くなかったと心底思いました(^o^)

「関ジャム」では山下達郎特集に続き、本日は怪物小田和正特集だし、願ったり叶ったり 気分はノスタルジック(^o^)ちょっと吉田さんや小田さんを聴き始めた頃を振り返ろうかな、と思います 先ずはよしだたくろうVS吉田拓郎問題(^o^)から

ひらがなけやきも漢字欅も両方好きだった私には実のところあまり意味はないですね、漢字だろうがひらがなだろうが(^o^)そもそも考えたこともなかった(^o^)

ただあえて言えば間違いなく常識的に一般ピープルにとって、いやいや普通にほとんどの拓郎好きにとって

よしだたくろう>吉田拓郎

は紛れもない事実であろうと思われます 

よく言われる吉田拓郎の最高傑作アルバムがよしだたくろう表記の『元気です』『今ははまだ人生を語らず』であることにも反論の余地はないし

かくゆう私も尾崎豊は十代が重大!オフコースはやっぱり初期がたまらん!などなどしょっちゅう口走ってます ミュージシャン、アーティストはその初期に代表作が集中するは吉田さんも例外ではありません いや、寧ろその典型か?(^o^)

言ってみりゃひらがなよしだたくろうのイメージはフォークのプリンス

そして私の知る漢字吉田拓郎のイメージの多くはゾンビ

プリンスとゾンビじゃあねぇ………………


しかしながら

あえて私がなぜ吉田拓郎はひらがなではなく漢字て感じなのかは単純明快



よしだたくろうは私にはリアルタイムではないからです(^o^)
そして

故に

皆が口を揃える

 昔の吉田拓郎は良かった!!!素晴らしかった!!!

この圧倒的な常識とやらは

私には当てはまらないようなのです それはどーやら

へそ曲がりの私がそれが気にくわないから無理して意地になって漢字の吉田拓郎の方が良いと言いたい訳でもないらしいのです(^o^)その辺りは追い追い記事にします あろうことか本当に感動していたみたいなんですよ、私(^o^)ゾンビ吉田拓郎に(^o^)呆れた珍奇男か(^o^)悪魔でも私の中での話ですが、やはり過去は過去でしかない、リアルタイムが最強なんですよ(^o^)こと吉田さんとゆー特殊ドキュメンタリータイプの歌い手さんに関しては……リアルタイムが肝心肝要!実際売れる売れないとか拓郎さんをめぐる数字とやらを気にしたことはありませんね その時々の拓郎さんの言葉に歌声に触れていたかった たとえそれがゾンビでもね(^o^)


おいおい、お前の好きな初期オフコースは後追いのリアルタイムじゃないじゃんとゆー突っ込みがありそうですが?その通りなのですが、ちょいと説明を

吉田拓郎とオフコースの最初に触れたアルバムがオフコースが多分『We are』(実際にはラジオからダビングした自前のテープ)で吉田さんはLP『吉田拓郎 THE BEST』でした 拓郎もオフコースも随分昔からのファンみたいなでかい面で語ってますが新参者ミーハーであるのはすでにバレバレですよね そのBEST、収録曲が


収録曲
A1イメージの詩6:30
A2今日までそして明日から3:00
A3結婚しようよ2:47
A4春だったね3:09
A5祭りのあと4:17
A6おきざりにした悲しみは3:56
B1旅の宿2:50
B2落陽3:42
B3シンシア4:18
B4ペニーレインでバーボン4:48
B5人生を語らず4:31
B6襟裳岬


まさに(よしだたくろう時代の)代表曲、名曲の網羅ですが、当時私は魅力をさっぱり感じませんでした まぁこの時点で過去の曲たちですからね(^o^)もちろん過去の否定では全くありません 

で、ですね僕の“リアルタイムこそが全て”この姿勢には吉田さん自身のキャリア全否定も関係あるのかなぁあ ほら、私はもちろん後から知ったわけですが、一時期何を血迷ったか?吉田さんが過去の曲はヒット曲だろうがなんだろうが一切コンサートで唄わない宣言(^o^)もちろん狼少年拓郎の宣言が守られることは決してありませんでしたけど(^o^)佐野元春さんにも似たような前科があったと記憶してます(^o^)あっ!佐野さんもリアルタイムこそが肝心肝要のミュージシャンであることは言わずもがな

さて、ここで先頃キノコホテルを退職された電気ギター担当で大の吉田拓郎愛好家kemeさんの「落陽」と拓郎と同じく広島出身で日本一の電気ロックギター弾き藤井一彦さん率いるTHE GROOVERSの「春だったね」をどうぞ\(^o^)/


 
















閑話休題

 聴き覚えのある曲ばかりでしたが……「イメージの詩」「今日までそして明日から」「春だったね」「祭りのあと」「落陽」「人生を語らず」……どれもこれも凄まじく名曲ですが……どーゆーわけかときめかなかったなあ とにかくシンプジャーナルに唆され当時は記事でこれから洗脳が始まる頃合い?初めて触れた吉田拓郎…つまらんな、がfirst impressionでした 山下達郎さんの全肯定の全行程40年ほどではないのですが(^o^)実は吉田拓郎さんにも当初は良い印象がなく、音楽そのものよりもビッグネームで顔つき態度がエラそうで気にくわなかったんですかね(^o^)吉田拓郎あるあるですね(^o^)一方、オフコースは「さよなら」の大ヒットで普通に知り、「愛を止めないで」「Yes-No」なども同時期に知り始めた訳でいたって普通ですが、これらヒット曲には良いなあ…とは感じたものの強く惹かれることはなかった 私がのめり込むオフコース好きの決定打アルバムが吉田さんと同じくベスト盤『SELECTION 1973-78』だったのです 初期オフコースのシングル集でとにかく気に入り聴きまくりましたね 私の中で大きな存在、オフコースと吉田拓郎…その最初期に触れたのが初期オフコース、よしだたくろう時代の何れもベスト盤で結果、オフコース大絶賛!拓郎つまんねー!真逆の印象だったとゆーお話でした

言っちゃあアレだけどオフコースにはリアルタイムの必然性はあまり感じないのですよね(^o^)個人的に

まぁだから必然吉田さんとのリアルタイムの最初の出会いであるオリジナルアルバム『マラソン』の話になるわけです(^o^)


で、『ah―面白かったは』実のところ本当につまらなかったのか?面白くなかったのか?は今のところさっぱり分かりません(^o^)今後反芻しながらだらだらと記事を書くなかで聴きながら判断しようかな 佐野元春さんの新作もあることだし

それにしてもオフコースと吉田拓郎を聴き始めたこの頃、数十年後に小田さんと拓郎が人の悪口を言い合いながらスイーツを仲良く食べる間柄になろうとは……想像もしなかった(^o^)
 

次は漢字吉田拓郎との出会いについて~吉田拓郎の全肯定の全行程までのホンのちょっぴり長い道のり~マラソンをお贈りします(^o^)

オフコースといやーつい先月行われたオフコースクラシックコンサートのセトリと


前回ブログで山下達郎さんの新譜大絶賛をしたばかりですが、スージー鈴木さんの紅白記事やら人様の関ジャムランキング記事に大いに共感しパクりまくったわけですが(^o^)またまた発見、シンパシーを感じまくりました パクりましたので興味のある方は是非 面白いよ、ポイントは

昔、山下達郎は敵だった それが今じゃ…………(^o^)


【嫌いだった山下達郎を今は愛してやまない理由~私的シティポップ論】




 山下達郎の最新アルバム「SOFTLY」(2022年)

空前のシティポップブームの中、11年ぶりにニューアルバム「SOFTLY」を、異例のサブスクなしで発売した山下達郎。シティポップのキングともいえる達郎の魅力とは。なぜ今80年代のシティポップなのか。音楽に造詣の深い佐藤誠二朗氏が紐解く。

14歳のときは“敵”と認識していた山下達郎
セス・スティーブンス・ダヴィドウィッツという、声に出して読みたくなる名のアメリカ人データサイエンティストが、Spotifyのビッグデータをもとにおこなった調査によると、男性は平均14歳の頃、女性は平均13歳の頃に聴いていた曲が、その後の音楽の好みを決定づけているという。

2018年にこの調査結果がニューヨークタイムズ紙で公開されると、日本でも大きな話題となった。
僕もその記事を目にしたときは「まさにソレ!」と膝を打ったものだ。
いまだに一人で車を運転するときなんかは、中学生の頃に傾倒していたパンクロックを大音量で聴きながら絶叫したりすることがある僕も、決して異常者ではないということだ。

1969年生まれの僕が14歳だったのは1983~1984年。
当時の僕はといえば、いま振り返ってみると本当に立派な厨二病だった。
音楽を聴くのが大好きだったのだが、ヒットチャートにのぼるようなメジャーなアーティストの曲なんてクソ喰らえと思い、マイナーなパンクやハードコア、ニューウェーブ、ポストパンク系の曲ばかりを好んで聴いていた。

その頃の僕のお気に入りミュージシャンを、邦楽・洋楽取り混ぜて挙げてみよう。
RCサクセションやカルチャークラブ、デュランデュランなんかはメジャーだが、ザ・スターリン、スタークラブ、アナーキー、INU、G.I.S.M.、エクスキュート、P.I.L.、バウハウス、アダム&ジ・アンツ、ディスチャージ、頭脳警察、プラスチックス、メロン、ヒカシュー、その他の名もなきインディーズバンドたち……。
このラインナップを見れば、当時の僕がどんな中学生だったか、わかる人にはわかってもらえるだろう。

一方、その頃から山下達郎はすでに超人気アーティストだった。
リッチで透明感のある伸びやかな達郎サウンドは、経済成長著しく、バブルへ向かってぐんぐん伸びていく“ジャパン・アズ・ナンバーワン”な当時の日本の高揚した空気感と、見事にマッチしていたのだと思う。

だがパンクスに憧れていた僕にとっては、その存在感も音楽的特質もまさにメジャーだった山下達郎のことは、はっきり“敵”と認識していた。
親の庇護のもとで何ひとつ不自由のない生活をしているくせに妙にひねくれていて、大人が眉をひそめるような過激な歌詞やサウンドのパンクや、ひねりにひねったサウンドを奏でるニューウェーブが至上のものと思っていた僕は、耳触りの良い山下達郎サウンドが、なんだか嘘っぽく聞こえてしょうがなかったのだ。

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嫌いだった山下達郎を今は愛してやまない理由~私的シティポップ論
7/10(日) 14:00配信

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集英社オンライン
決して宗旨替えしたわけではないが、山下達郎が好きになっちゃった40代

2018年6月には、NHKホールでおこなわれたコンサートにもいった。最高だった

昨今、世界でもてはやされているシティポップの、リアルタイムな最盛期はいつなのかというと、人によって見解が分かれ簡単には断じられないようだが、僕の感覚では、山下達郎が6thアルバム「FOR YOU」をリリースした1982年からの数年間なのではないかと思っている。
まさに僕の一生の音楽の好みが決定された頃だ。

当時から山下達郎を聴いていれば、僕の人生も今とはだいぶ違うものになっていたのは間違いない。
何しろ僕は、14歳前後の頃の強烈な音楽体験をいつまでも引きずり、僕にそうしたキワモノカルチャー情報を大量提供してくれた雑誌『宝島』の編集者を目指すようになった。
そして出版社・宝島社に就職し、なんやかんやあって今のこの仕事につながっているのだから。

そんな僕が今や“山下達郎大好き!”なのは、不思議といえば不思議な話である。
ダヴィドウィッツ氏の“14歳説”はなんだったの?と思うかもしれない。
でも実は、14歳の僕の頭の中には、潜在的な形で山下達郎サウンドが深くインプットされていたのかもしれないと、今になって思うのだ。

その頃の山下達郎は、今と変わらずテレビ出演を拒否していたため、新曲リリース時などのプロモーションはラジオに重点が置かれていた。
そして、小遣いの乏しい当時の音楽好き中学生にとって、ただで聞けるラジオは最重要メディアだったから、僕の耳には山下達郎の曲が、好まずともバンバン流れ込んでいたのだ。
テレビのCMでも頻繁に達郎サウンドが流れていたから、本当にすごいサブリミナル効果があったのではないかと思う。


山下達郎を一から聴くなら、やっぱコレ。ソロの前に組んでいたバンド、シュガー・ベイブ唯一のアルバム「SONGS」(1975年)

僕は当時から、敵だ、嫌いだ、ダサいなどと言いつつも(ホントにすみません)、山下達郎の曲がとても気になっていたのだと思う。

でも、大人になってもずるずると厨二病を引きずっていた僕が、「やっぱ山下達郎はいい!」とちゃんと認められたのは40歳になってからだった。
そして、一度観念して聴きはじめてしまうと、途端にそのサウンドの虜となり、過去に置いてきた山下達郎を追い求め、ディスコグラフィーを一から熱心に聴いていくことになったのだ。




 
嫌いだった山下達郎を今は愛してやまない理由~私的シティポップ論




山下達郎のソロデビューアルバム「CIRCUS TOWN」(1976年 左)と、ザ・スターリンのデビューアルバム「trash」(1981年 右)

14歳の僕にとって山下達郎の曲や、永井博や鈴木英人のイラストに象徴されるイメージを含めた“山下達郎的”な世界は、とにかく非現実的だった。
そしてそれを好きだという人は、一種の見栄を張っているだけだと思っていた。

だが今は、そういう心地よい世界を否定してとんがり、やや露悪的なことを好んだ自分自身の方が、もしかしたらよほど見栄っぱりのこけおどしだったのではないかと思う。
もちろん、そのような自己分析をしたうえでもまだ、14歳の頃に好んで聴いていたガサツな音楽は相変わらず大好きで、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」と山下達郎の「CIRCUS TOWN」の間に、ザ・スターリンの「trash」を聴く、というようないびつなことを平気でやっているのだが。

なぜ今シティポップなのか? なぜ今、山下達郎なのか?

『新中間大衆の時代』(村上泰亮・著 中央公論社 1984年)

2000年代にシティポップを中心とする往年の邦楽が“和モノ”と呼ばれてクラブシーンで持てはやされるようになり、2010年代になるとceroやSuchmos、Yogee New Wavesなどの若い世代のミュージシャンが“ネオ・シティポップ”と呼ばれるジャンルを築きはじめた。
同じ頃インターネット上では、1980年代頃の音楽をサンプリングして作る“ヴェイパーウェイヴ”という新ジャンルが世界的に流行しはじめ、そこでも日本のシティポップが再注目されるようになる。
そしてヴェイパーウェイヴシーンを背景に持つ韓国のDJ・Night Tempoや、インドネシアのYouTuber・Rainychなど、シティポップを積極的に取り上げるアーティストの活動が盛んになるといよいよ機は熟し、2020年末には、1979年に発売された日本のシティポップ、松原みきの『真夜中のドア/Stay With Me』が、世界の音楽シーンを席巻するといった、一種異様な事態になった。

だが今の日本を包んでいる空気は、リアルタイムofシティポップの1980年代初頭とはかなり違う。
当時の空気感を知るために、昭和59年(1984年)に出版されたある本の一節を紹介したい。
東京大学教授(当時)の経済学者・村上泰亮による著作『新中間大衆の時代』(中央公論社)である。僕は『タイム・スリップ芥川賞』(菊池良・著 ダイヤモンド社・刊 2022年1月発売)という本で紹介されていたこの本に興味を持ち、ネット古書店で手に入れた。



『タイム・スリップ芥川賞』でも紹介されていた一節の受け売りだが、『新中間大衆の時代』の“1982年夏”と題された項目に記された文を引用したい。


 最近の日本社会は、世界の中で例外的な楽園である。インフレ率、失業率、犯罪率、所得分配などほとんどの社会指標をとってもその水準は現在の世界で群を抜いている。ファッションの溢れた街を歩く若い世代の日本人ほど緊張のない無防備な表情をしている若者はほかにはいない。古い世代の日本人もようやくたどりついた豊かさにすがりつこうとしている。できることなら、外の世界から目をそむけてこの安楽さに浸っていたいという心理が拡がっている。貿易摩擦や難民問題について高まる外からの要求に対しては、聞きたくもない、知りたくもないという新しい鎖国の心理がひそかに強まっている。しかし後にも述べるように、この現代の豊かさは、かなりの部分がタイミングの悪戯の産物であり、束の間の幻影に終わる可能性も大きい。(『新中間大衆の時代』村上泰亮・著 中央公論社・刊 1982年)


いかに当時の日本の社会を包む空気が、現在のそれとは違っていたかがわかるだろう。
しかしよく考えてみると、インフレ率、失業率、犯罪率、所得分配などの社会指標を数字だけで見れば、いまだ日本は世界の優等生だ。
でも現在の日本の豊かさは、1982年のように“長年苦労してたどり着いた”ものではなく、今にも崩れ落ちそうなところを必死に維持している段階というべきなのかもしれない。

つまりシティポップが流行った1982年当時は、日本にとって幻影的な豊かさの入口であり、シティポップが再注目されている現在は奇しくも、その豊かさの出口にあたるのではないだろうか。
そう考えると背筋がゾクっとしてしまうが、とりあえず今は、山下達郎が11年ぶりにリリースした最新フルアルバム「SOFTLY」でも聴いて、まだ温もりのある夢の中にいたいと思う。
そんなやつばかりだから、日本は凋落するのだと言われるかもしれないが、まあ僕なんて所詮は、根がパンクスなもんで。

ところで「SOFTLY」ときたら、この時代なのにサブスクでの公開は一切なし、カセットテープとCD、レコードのみでの発売という、山下達郎でなければできないような販売形態がとられている
レコードは特典つきとはいえ11000円の価格だが、飛ぶように売れているというから驚きだ。
きっと僕のような後発組の山下達郎ファンも、そのセールスを支えているのではないかと思う。
僕は「SOFTLY」をCDで購入した。
相変わらずのメロウな山下達郎ワールドは素晴らしく、やっぱええなあと思いながら、繰り返し繰り返し聴いているところだ。

できれば、このまま夢が覚めなければいいと思いつつ。

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