松本典子&畑中葉子
暗闇でしか見えぬものがある
暗闇でしか聴こえぬ歌がある
宮本浩次ソロでは決して味わえないエレファントカシマシの屈強なしびれるロックがある\(^o^)/(恒例の新春ライブ2022年をWOWOWで観ながら(^o^)いやー本当しびれっぱなし、エレカシ、最高\(^o^)/バンドメンバーも年齢を重ね、エレカシ益々のかっこよさ\(^o^)/ぜひ再会を果たしたいレベル\(^o^)/惚れ直しまくり\(^o^)/それに宮本さん、細海魚さんを随分と持ち上げられてて嬉しくなっちまいました)
たまたまネットで目にした記事がある
パクらずにはいられないサイテーの私、見参(^o^)
おっと、
今もなお忘れ難いアイドルがいる(^o^)
♪逃げ出せ!♪逃げ出せ!♪逃げ出せ!
まーくんのドライブミュージック、この頃は無秩序に新譜も交え手当たり次第ですが、疲労困憊の時なんかはやはりアイドルに逃避してます 相変わらず(^o^)
先日のSONGS SPECIAL、小泉キョンキョンの健在ぶりは嬉しかったものですが、
で、今回、そのアイドルとは!
すべての道はOJ(小山卓治&小沢健二)に通ずる(^o^)
CBSソニーから多くの期待を集め?鳴り物入りのデビューを果たしたもののパッとしなかった大物ロック歌手といやー我らが小山卓治さんですが(^o^)やはりCBSソニーからポスト松田聖子と呼ばれ大いなるデビューを果たしたものの松田聖子にはなれなかった バラドルとしての成功はまあまあありましたが歌手としては今一つパッとしなかった、このブログではお馴染み?
松本典子さん\(^o^)/
まぁ小山卓治さんの場合は商売大失敗の自滅ですが(^o^)松本典子さんの悲劇はソニーが冷たく非情に推しを変えたため見離され?迷走に突入したらしいです?(^o^)……なるほど…確かに(^o^)
このブログ的にポイントは
天竜源一郎がジャイアント馬場とアントニオ猪木の両者からスリーカウントを奪った唯一の男のように
松本典子は松任谷ユーミンと中島みゆきの両名から楽曲提供を受けた唯一のアイドルじゃないけど(^o^)薬師丸ひろ子さんもそーだし(^o^)しかしながら
45回転の愛のカタチあなたはユーミン?それともみゆき?by田家秀樹
いえ、両方です!………の松本さんはそれはそれは恵まれてたのですよ
しかしながら間違いなく顔ぶれからして勝負曲と思われる
#松本典子 『さよならと言われて』
[1985年発売]
作詩:銀色夏生
作曲:呉田軽穂
編曲:松任谷正隆
※オリコン最高17位
ユーミン提供楽曲としてはオリコン順位も指し示す通り弱かった 分かりづらかった 素晴らしい楽曲ながら藤井風さんではなく折坂悠太さんだった(^o^)故に当然振るわなかった また、みゆきさん提供楽曲「儀式セレモニー」も一部で話題になったものの(私はもちろん大はしゃぎでした(^o^))いやー今でも大好きな楽曲\(^o^)/
それではプロ野球選手と結婚され中島みゆきさんとは真逆の(^o^)幸せな家庭を築かれ年齢を重ね少しふっくらされた松本さん(当時40代半ば?)の本来幸せな歌じゃないのに幸せにしか聴こえない、幸せにしか見えない「セレモニー」をどうぞ
素晴らしい\(^o^)/幸せ極まりない(^o^)
中島さんのセルフカバーより好きです、今でも(^o^) まぁみゆきさんのversionの方が圧倒的にこの歌本来の不幸のドン底まみれが表現されてて当たり前に素晴らしいのは言うまでもないのですが(^o^)
ついでに
松本さんの若い頃のリアルタイム「儀式セレモニー」もどうぞ
まぁしかしながら世間様に松本典子さんの歌手としての印象があるとしたらひょっとしたら尾崎亜美さんのこの楽曲かも知れませんね スター誕生出身歌手金井夕子さんのデビュー曲カバー
「パステル・ラヴ」
松本さんは知らなくても金井さんのこの曲は名曲ですからね やはり改めて聴いてみて、素晴らしい楽曲ですね
ちなみに金井夕子さんはポスト山口百恵だったらしい(^o^)
するってーと周囲も本人も松田聖子を目指し(なれなかったけど(^o^))山口百恵さんのように芸能に早々に見切りを付け結婚引退を選んだ彼女は正にCBSソニーの申し子だったのかもしれません(^o^)
そんな
松本典子さん
正統にして王道のルックス、確かな歌唱力を兼ね備えた私の永遠のアイドルのひとり 久々に聴いてしまいましたよ、彼女の記念すべきデビューアルバム
『Straw Hat』
音楽的には
あおざかな💙💛
@aosakana
·
Nov 26, 2010
松本典子の1st、ベースがすごい。美久月千晴、富倉安生、渡辺直樹、岡沢章。見本市のよう。「いっぱいのかすみ草」「春色のエアメール」「青い風のビーチサイド」の美久月さんがこのアルバムではとくにいいかなー。アルバムラスト曲「レモネードの午后」の渡辺直樹さんも抑えめで意外な感じでいい。
だそーですが、確かに作曲編曲陣には大物が名を連ね
岸正之、矢野顕子、デビューシングルのEPO、上田知華、編曲に笹路正徳、武部聡志、大村雅朗、舩山基紀……なるほどCBSソニーが社運を欠けた(^o^)デビューアルバムには違いないのでした
「Straw Hat」(1985年7月21日/28AH-1901)[12]
SIDE A
いっぱいのかすみ草
作詞:麻生圭子/作曲:柴矢俊彦/編曲:丸山恵市
ふたりだけのNEWSのままで
作詞:麻生圭子/作曲:岸正之/編曲:笹路正徳
ジンジャー
作詞:麻生圭子/作曲:矢野顕子/編曲:武部聡志
なるほどネ!!
作詞:三浦徳子/作曲・編曲:大村雅朗
春色のエアメール(Album Version)
作詞・作曲:EPO/編曲:大谷和夫
SIDE B
Good-byeあなた色の街
作詞:三浦徳子/作曲:佐藤健/編曲:入江純
木もれ陽のフェアリー
作詞:ちあき哲也/作曲・編曲:船山基紀
グリーンの夏
作詞:麻生圭子/作曲:上田知華/編曲:武部聡志
青い風のビーチサイド
作詞:麻生圭子/作曲:岸正之/編曲:船山基紀
レモネードの午后
作詞:麻生圭子/作曲:岸正之/編曲:入江純
とにかくこのアルバムで一番重要だと思われるのが、この方のつぶやきでも挙げられてる、私も好きで好きでたまらない記念すべきデビューアルバムオープニングを飾る楽曲「いっぱいのかすみ草」
シングルじゃないけど松本典子ファンなら聞かれれば必ずや名曲の1曲に挙げる、実は本人も思い入れがあり珍しくテレビでも披露されてた大切な1曲、何でも最後のアルバム製作にあたってファーストオープニング楽曲のこれと対を為す最後のアルバムのクロージング楽曲のコンポーザーに同じ作曲者の柴矢俊彦さんを依頼した程 私も松本典子で1曲は?と聞かれれば「セレモニー」でも「パステルラブ」でもましてや「さよならと言われて」でもなく(^o^)、間違いなくこの楽曲を挙げますね
うわぁあ!!!!!!
やはり松本典子は良い曲色々あるけどファーストアルバムのこの曲だね これに尽きる\(^o^)/もう今回のブログはこれを貼りたかった 知ってもらいたかった!それだけ(^o^)
あと、ついでにアンコールで彼女の最後のアルバムのオープニング楽曲で歌手廃業間際にテレビで何度か歌われたこの最後から2番目のシングル楽曲が極めて個人的に印象に残ってます
「たったひとりの恋人」
こんなつぶやき発見
「志村けんのだいじょうぶだぁ」
エンディング曲の松本典子曲リスト。
88.02.15より「今夜はパラダイス」6週
88.10.10より「雨と水曜日」3週
89.09.04より「天使の棲む島」4週
90.01.08より「初恋十二単」9週
90.11.12 「たったひとりの恋人」2週
私の場合は最後のシングル「kissが届かない」(も、実際には歌われてるみたいだけど)は購入したもののほとんどテレビで見れなかったので実際には「たったひとりの恋人」が勝手に最後のシングル楽曲っぽい(^o^) 今にして思えば結婚引退を間近に控えた大人のアイドルの女性の?余裕と幸せが感じられて好きなのだこの頃の彼女のたたずまいが 実は彼女の最後のコンサートになった小山卓治さんでもお馴染み?日本青年館へも足を運んだのでした これら最後の松本典子楽曲の数々が収録された最後のアルバムもそんなわけでなかなかのお気に入り
Clik here to view.

「Jasmine」
では最後のアルバムからお気に入りのオープニング楽曲を
「たったひとりの恋人」
嗚呼、懐かしかった 暫しノスタルジックな幸せに浸れました
松本さん、ありがとう\(^o^)/
松田洋子
@matuda
·
Mar 25
若い頃、立ち上がる時に「どっこいしょ」て言うと「おばあちゃんか」て笑われたりしたが、実際におばあちゃんゾーンに入った今、立ち上がる時に出るのは「あいたたた」だった。膝とか腰とか肘とか痛い。
松田洋子
@matuda
·
13h
BSプレミアムで西城秀樹の1985年武道館やってるの。
70年代の歌謡曲って、何があってそんなに二人の恋はいつも邪魔されてたのか。
なんかあったら旅立たにゃならんし大変だった。
松田洋子
@matuda
·
12h
五十肩なので秀樹と一緒にY・M・C・A が踊れない。
松田洋子
@matuda
·
12h
秀樹は最後までずっとカッコよかったな。
本当にスターだよ。
あとは
今回もパクり記事です!それも丸々3記事!ひどいです(^o^)人でなし(^o^)
ひとつは
私の勝手に挙げる日本のロック偉人5人のひとり、中島みゆきさんは3月21日がアルバム『寒水魚』の発売40執念記念日だとかで、このアルバムはミニにタコ!私の挙げる中島みゆきさんの一枚なので見知らぬ人様の記事(書かれた方がよくわかりませんでした)を!ちなみにこのアルバム全曲素晴らしい大傑作大名盤ですが、取り分け自分の思い入れは「傾斜」「時刻表」「砂の船」「歌姫」になります 自分にはそれまで聴いたことのない所謂ロックな??衝撃でした(^o^)
また、前回記事でも触れた「レコードコレクターズ」で特集されたナイアガラトライアングルVOL.2がやはり40執念、大滝さんでも佐野さんでもなく私が常日頃勝手に“J-POP無冠の帝王”呼ばわりしている杉真理様の記事を
そしてすべての道はOJに通ずる(^o^)
マキタスポーツさんといやー言わずと知れたJ-POPを語る猛者のひとり
彼のオザケン20年ぶりの“「ミュージックステーション」への帰還”「流動体について」を見ての感想を今頃(^o^)
あと、よくわかんねー偉い賞とやらを取った佐野元春さんと藤井風さんに
音楽界の重鎮?から
湯川れい子
@yukawareiko
·
Mar 13
佐野元春さん、藤井風🍃さん、おめでとうございます㊗️
佐野さんは
佐野元春 Web - MWS Retweeted
七尾旅人
@tavito_net
·
Mar 21
佐野元春さんの「ザ・ソングライターズ」が、800ページを超える分厚い書籍になり本日発売です。
日本語詞のリズムと意味を大きく変革しながら今も傑作を生み出し続ける佐野元春さんとの対話は、僕にとってかけがえのない経験でした。
ぜひ手に取ってみてください。
また、ブギーバック選手権?でオレスカバンドが受賞し、オザケン、スチャダラへ感謝が(^o^)さすがのプロフェッショナル賞(^o^)
ORESKABAND【Official】
@ORESKA_Official
·
Mar 19
本日開催された、小沢健二さん&スチャダラパーの皆さんによる授賞式にて、
”さすがのプロフェッショナル賞”を頂きました😭🏆✨
ブギーバックという火を囲み、夢中で遊んだ遠足はこれにて🔥
ありがとうございました!!
3月21日
名曲がズラリ!中島みゆき「寒水魚」1982年の年間アルバム売上第1位
1966年生まれ
不自然なししゃも
80年代アイドルをこよなく愛する50代サラリーマン。
TOTAL 1717
ユーミンとPerfumeと80年代アイドルを
こよなく愛する50代の大阪在住のオッサン。
3人の姉から様々なジャンルの音楽の洗礼を受け
ガキのころから流行りの音楽には
それなりに敏感だった。
音楽の仕事に就きたくてピアノ調律師になるも
限界を感じて早々に挫折。
お堅くサラリーマンになるも音楽は続けたいから
今もユーミントリビュートバンドで鍵盤弾き。
音楽を取り上げられたら間違いなく死にます。
林真理子
@KuFGvc1O3VikO4T
·
16m
今日はアルバ寒水魚がリリースされて40年私がみゆきさんのフアンになった翌月3月に発売され初めて予約してレコード屋さんで購入した思い出のアルバムです💞名曲がズラリ!中島みゆき「寒水魚」1982年の年間アルバム売上第1位(Re:minder - リマインダー)
「悪女」から変わっていった中島みゆきのイメージ
中島みゆきに初めて触れたのは「わかれうた」だった。ロイ・ジェームス司会のラジオ番組『不二家歌謡ベストテン』で第1位と紹介されて流れていたその曲は、当時小学生だった私には救いようのないほど暗く感じられた。恥ずかしながら当時中島みゆきを知らなかった私は、「これって、いしだあゆみの新曲?」と本気で姉に聞いて大笑いされた記憶がある。また、『ザ・ベストテン』にランクインしても出演辞退していたし、ほんとに実在するのだろうか? とさえ思ったものだ。
1980年に「ひとり上手」、1981年に「あした天気になれ」がヒットしたことで、ラジオでもしょっちゅう耳にするようになったが、私の中で「暗いフォークの歌」という印象を拭うことはなかなかできなかった。仕方ない。当時私は河合奈保子をはじめとする女性アイドルに夢中になっていたのだから。
そんな感じで全く中島みゆきに興味のなかった私だが、さすがに大ヒットした「悪女」には興味を持った。切々と歌い上げるスタイルは変わらずとも、ボップなメロディーにライトなアレンジ。「あれ? みゆきってこんな曲調だっけ?」気がつくとラジオで流れるのを心待ちにしている自分がいた。
「悪女」という言葉の響きも新鮮だった。当時、里中満智子先生の『悪女志願』という漫画があり、真面目な女子大生が真実の愛を求めるあまり、恋愛遍歴を重ねていくという、ちょっとアダルトな作品だったので、みゆきが「悪女」という言葉を使ったことに違和感があった。しかし実際は悪女になりたくてもなり切れない、純な女性を歌っているということがわかり、妙に安心したものだ。
「オールナイトニッポン」で知った中島みゆきのキャラクター
そして私がみゆきにハマるきっかけが、ラジオ番組『中島みゆきのオールナイトニッポン』である。当時文通していた同学年の女の子から「絶対面白いから聴いてみて! ハマるはずだから!」という言葉を信じて、ある月曜日の深夜、「アンタ明日学校やで!」と母親に怒られながらも起きてみることにした。
「ギャハハハ!」と高笑いしながらハイテンションで話す女性が中島みゆきだとわかるまでにしばらく時間がかかった。
えっ? この人喋るとこんなキャラなの? 面白いって…まさかここまで振り切れてるとは…。
しかしずっとおふざけモードで話してるかと思ったら、リスナーからのハガキを読んだあと、真剣に語りかけたりもしていて、気がつくとわたしは中島みゆきのとりこになっていた。でも音楽に、というよりは “その人間性に惹かれた” というのが正解だろう。この時点ではまだみゆき作品をちゃんと聴いていない。
アレンジ、歌詞、参加アーティスト… ヴァラエティに富んだ「寒水魚」
そして初めて買った中島みゆきのアルバムが1982年に発売された『寒水魚』である。発売日(1982年3月21日)は、私の公立高校入学試験の合格発表の翌日だったのではっきりと覚えている。当時はフラゲ(発売日前日に購入すること)という習慣もあまりなかったし、発売日が待ち遠しくて、当日ドキドキしながら買いに行った。レコード店に行ってアルバムを探すと、なんとも艶っぽいジャケット。その姿からはラジオで見せるキャラは全く想像できないので少し不安になった。それでも初めてきちんとみゆきの音楽に触れるということで、ワクワクが止まらなかった。
帰宅してレコードに針を下ろす。1曲目「悪女」で「はぁ?」と声を上げた。そう、アルバムバージョンのそれは、深いベース音から始まる、ギターをフィーチャーしたハードなアレンジ。歌い出すみゆきのヴォーカルも投げるような強い歌い方で、シングルのそれとは全く違う、シンコペーション入りまくりの「ニュー悪女」に「なんだこりゃ?」と戸惑ったものの、何度も聴くうちにクセになってしまった。
他にもストリングスアレンジが美しい「鳥になって」、松任谷正隆のジャジーなアレンジがシブい「B.G.M.」、駆け落ちというシチュエーションも含めて、ともすると演歌のような雰囲気の「家出」、シニカルに紡いだ言葉をぽつぽつと歌う声が妙にかわいらしい「時刻表」、あまりにも孤独の闇が深すぎるのに惹きつけられる「砂の船」、この曲の前では「ディーバ」という言葉を軽々しく口にできないほどスケールの大きな「歌姫」など、歌詞の内容から曲調まで、ヴァラエティに富んだ内容で、まともにみゆきを聴いたことがない私は頭を思い切り殴られたような感じがした。
大人になるにつれ沁みる「傾斜」「捨てるほどの愛でいいから」
そんな中で私が特に印象深い曲は「傾斜」と「捨てるほどの愛でいいから」である。
「傾斜」は後に高校の現代文の教科書にも取り上げられたという。老婆が坂を登る姿を通して、歳を重ねることの醜さと尊さを描いた作品だと思うのだが、当時はアレンジのカッコよさだけで、歌詞の内容にはあまりピンと来なかった。
としをとるのはステキなことです
そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです
そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか
しかし、10年ほど前に母親が認知症になり、いろんなことが彼女の記憶からこぼれていき、ついに私のことも誰だかわからなくなったとき、私はこの曲を思い出した。施設に顔を見に行った帰り、iPodに入っていたこの曲を聴いて、バスの中で涙が止まらなくなったことを今でもはっきりと覚えている。
「捨てるほどの愛でいいから」はとても壮大なバラードなのだが、決して想いが届くことがない相手に対して、それでも気持ちを届けようとする、あまりにも悲しすぎる曲である。
夢でもいいから 嘘でもいいから
どうぞふりむいて どうぞ気がついて
あの人におくる愛に比べたら
ほんの捨てるほどの愛でいいから
そして最後の繰り返し
夢でもいいから 嘘でもいいから
どうぞふりむいて どうぞ…
ここでついにみゆきのヴォーカルが途切れる。最後の「どうぞ」は、祈るように強く訴えるあまり、失神してしまったのではないかと思うほどの狂気を感じてしまう。
当時15歳だった私には、ここまで振り向かれなくても人を愛する気持ちが全く理解できなかったのだが、大人になるにつれて、自分自身が失恋を重ねていくたびに、なんとなく理解できたような気がした。ただ、この曲は聴くたびに胸が苦しくなる。
その後もいくつかアルバムを聴いたけれど、私にとっては『寒水魚』が中島みゆきの中では一番好きな作品で、それは40年経った今でも全く変わっていない。
ところでその後も『オールナイトニッポン』はよく聴いていたのだが、1983年に松任谷由実がゲストに来たときに「あなた、セックスの処理はどうしてるの?」とユーミンに唐突に聞かれ、「あたくし、清純派タレントですからそういうことにはお答えできませ~ん!」とキャッキャッと答えるみゆきと、切々と歌っている時のみゆきにあまりにもギャップがあり過ぎて、「やっぱり別人じゃねぇの?」と思ってしまうのであった。実は今でもちょっとだけそう思っている(笑)。
日本が誇るポップマエストロ・杉真理の多彩なキャリアは過小評価されすぎ!
杉真理というアーテイスト
2022年3月14日は杉真理の68回目の誕生日。改めて彼のキャリアを見なおすと、知っていたつもりでも、その多彩さにちょっとびっくりする。それは、僕が感じている杉真理という人の印象とのギャップの大きさへの驚きでもある。
杉真理は1977年に大学の音楽サークルで結成したバンドをベースとした杉真理&レッド・ストライプスでレコードデビューしたが、この時はあまり脚光を浴びることもないまま病気によって活動停止を余儀なくされている。僕も彼のことを知ったのは、1980年に「Hold On」でシンガーソングライターとしてソロデビューしてからのことだった。同曲は、レッド・ストライプスにも参加していた竹内まりやのセカンドアルバム『UNIVERSITY STREET』(1979年)のために杉真理が書いたバラード曲で、これはいわばセルフカバーだった。
杉真理がデビューした1980年前後は、日本のポップミュージックシーンに新しい才能が次々と登場していった時期、見方を変えれば日本のポップミュージックが商売になると踏んだレコード会社が、積極的に新人を売り出そうとした時期でもあった。
ナイアガラ・トライアングル Vol.2参加につながった “ジャパコン”
そんな新人売り出しの動きのひとつに、1981年に行なわれた新人キャンペーン『ジャパコン(Japan Contemporary Sound コンサート)』があった。杉真理、佐野元春、網倉一也、浜田金吾と、所属レコード会社が異なる4人のシンガーソングライターを共同でプッシュしようとする企画で、そのハイライトとなったのが新宿のライブハウス・ルイードで4人が日替わりで行なった連続ライブだった。この最終日に大滝詠一が登場して、杉真理と佐野元春に『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』への参加を呼び掛けたのも有名なエピソードだ。
さらに、1982年には松任谷由実、須藤薫とのジョイントコンサート『Wonder Full Moon 行かないで夏休み』を行うなど、この時期の杉真理には、多くのアーティストと積極的に交流する期待のホープというイメージがあった。けれど、正直に言えば、彼には新人らしいガムシャラさというか、ギラギラした自己主張があまり感じられなかった。その作品は洗練されたポップ感覚にあふれていてサウンドのクオリティも高かった。けれど、ボーカルも含めた全体の質感がマイルドなこともあって、強烈なインパクトはあまり伝わってこない印象があった。
その後も、杉真理はソロアーティストとしての活動と並行して、松尾清憲らとの BOX、松尾、伊豆田洋之らとの Piccadilly Circus、村田和人との ALOHA BROTHERS など、多くのユニットを組んで多彩な活動を続けていった。その折々に彼の作品には触れてきたけれど、やっぱり僕の印象は変わらなかった。
相手の音楽性を引き立たせ、自身を存在させる “杉真理”
でも、考えてみればそんなマイルドなポップさこそが杉真理の自己主張というか、個性だったのだと気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。
大滝詠一、松任谷由実、佐野元春、竹内まりやをはじめとする、多くの個性的アーティストとのコラボレーションも、杉真理は軽々と自然体で行っているように見せていた。けれど、どのコラボレーションも、相手の音楽性を引き立てながらも、けっして一方的に相手に寄せていっているわけではなかった。杉真理は杉真理としてしっかり存在しつつ、自然なハーモニーを生みだしていた。そんな彼の足腰の強さを、流れてくる音楽のマイルドさに隠れて見逃していたんじゃないだろうか。
そこになかなか気づかなかった自分の不明を恥じつつ、これだけ多彩な相手と共振しながら自己表現ができるアーティストは、けっして多くはないと改めて思った。そして、彼が果たしてきた業績にふさわしい名声は受けていない… いわば過小評価されているアーティストのひとりなんじゃないかとも感じていた。
おそらく彼自身が望みさえすれば、杉真理は現在より大きくクローズアップされる存在になっていたと思う。けれど、たぶん彼の野心はそこには無かったのだろう。彼は、スターとして時代に君臨することよりも、共感するアーティストたちと一緒に音楽シーンのなかで良い作品を生みだし続けることに生きがいを見出したのではないだろうか。そして、そんな姿勢で活動を続けているから、杉真理は今も過去の人になっていないんじゃないか。そんな気もする。
ソングライターとしても活躍している杉真理。彼の最大のヒット曲は何だろうと考えた時に、真っ先に「ウイスキーが、お好きでしょ」が思い浮かんだ。「バカンスはいつも雨」や「いとしのテラ」ではなく、さまざまなシンガーが歌っている「ウイスキーが、お好きでしょ」が出て来るのも、彼らしいのかなと思う。
【マキタスポーツはオザケンのMステへの帰還、流動体についてをどう見たか?】
おざ犬
@ozw_dog
マキタスポーツ:(小沢健二は)お笑いで言うところのツッコミ的な思考でもって音楽を解体して、またビルドアップして、活躍していた。もともとは批評家的な芸風だったと思うんです。でも、途中からボケになっちゃったんですよね。
オザケン。
作業場で、作戦会議などをするなか見たのだけれど。じわじわと味わう、小沢健二…
五年前、彼の前でJポップ解体のネタをやり、最後は、打ち上げで当時出版したばかりの、拙著「一億総ツッコミ時代」をお渡した。(そんな機会をくれた、スチャダラパーのマネージャー加藤さん、ありがとう!)
僕にとっては、90年代に出現したどのアーティストより、彼のやったことはラディカルに映り、胸に響いた。道化に振り切ったなと。
でも、少々痛々しかった。その後“王子様”は普通の小沢健二になった。それでいいと思った。でも今度はスノッブになり過ぎて、やっぱり取っ付きにくくなってしまった。
僕は、オザケンが活動を休む1998年にデビューしている。
活動をしていくうちに、だんだん矛盾を感じ始めるようになった。
「俺、笑われてねぇな〜。」
笑われるのは嫌だったし。でも、あの頃のオザケンはどうだったんだろう?って。
腹が決まった。ちょうど時代がどんどん無責任に、おまけに他罰的で、ツッコミ過多な空気が蔓延し出していた。同じような気分でいたくないと凄く思った。で、件の本を出した。
オザケンは惑星じゃなくて、恒星だ。自分で光っている。勝手に。
オザケンの光が届く周回に入ったってことをありがたいと思う。
マキタスポーツ