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Channel: 損愚図
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OJ(小山卓治&小沢健二)の負け戦には勝ちが(価値が)ある……♪かもね♪♪♪(^o^)

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山下美月(乃木坂46)



星野みなみ(乃木坂46)







どーも!不健康な上に一切合切が凡庸で周囲から♪うっせぇわ♪♪の集中砲火を浴び、 大人って存在の失望と悲しみの一つ一つを思いしり、カラータイマーは電池切れで点滅すらさせてもらえず子供の頃に隠しておいた変身アイテムも一切無くこの恥点から放つ必殺光線ブログのつもりがさっぱり届かない……かもね♪♪……な、私です(^o^)

あっブログタイトルは内容と関係無いよう(^o^)いつも心底思ってることなのでつい記しちまったぜ……かもねぇえぇえ♪♪♪

すいません、最近、『ウルトラマン・ゼンブ』と『うっせぇわ』の歌詞が頭にこびりついて離れないもんですから(^o^)


どーでもいいけど庵野秀明さんの昔のコスプレ写真のウルトラマンにはカラータイマー付いてましたね(^o^)

そんな私一人がはしゃいでる『ウルトラマン・ゼンブ』ですが、旬の女優、森七菜さんがカバーされた『スマイル』のヒットのおかげで再び?脚光を浴びるホフディランのワタナベイビーさんが早速カバー(^o^)素晴らしいので貼ります 聴いてみてね





 小沢健二の最新シングル「ウルトラマン・ゼンブ」をワタナベイビーがカヴァー

  
小沢健二の最新シングル「ウルトラマン・ゼンブ」をワタナベイビーがカヴァー。小沢健二のYouTubeチャンネルで公開されています。

小沢健二は「ウルトラマン・ゼンブ」のカヴァー・ヴァージョンを4月19日の夜9時に好きな場所に一斉にアップして、お互いの作品を聴く、という「ゼンブカバーチャレンジ」を企画しており、その一環として、ワタナベイビーがカヴァーしています。



Ozawa Kenji 小沢健二
@iamOzawaKenji
僕の新曲『ウルトラマン・ゼンブ』を早くもカバーし、4月19日の夜9時にお好きな場所に一斉にアップして、お互いの作品を聴く、というチャレンジへのお誘いです。

カバーはバンド、DTM、アプリ、ノイズ、リミックス、インスト、どんな形でも、どなたでも。ウルトラの時空はつながる。ぜひ!

 


Ozawa Kenji 小沢健二
@iamOzawaKenji
·
3月15日
YouTubeに、ちょっとおもしろ素敵なやつを上げました。「おーひさびさ! と思ってメールを開けると…」









ミュージックフェアを見てたら、てち(平手友梨奈)のパフォーマンスも悪くないんだが、それを越える衝撃が(^o^)





もしもピアノが弾けたなら?

エクボは“恋の落とし穴”ならぬ

ピアノは“恋の落とし穴”

などと、言わんばかりに

アイドル界の重鎮ならぬ珍獣の分際で不埒にも乃木坂の至宝いくちゃん(生田絵梨花)に対抗しようなんざももクロ3年柿8年早いんだよ、ちょこざいな百田夏菜子(^o^)

やるー!!ピアノのアピールや!!!

チーン

なんでも映画初主演で、ピアノを弾いてるんだとか

これが結構様になってる 達者に見える(^o^)さすがは最強アイドルももクロちゃんのリーダーただの珍獣ではございません まぁいくちゃんのエレガントさには及ばないながらも見直しましたね←上から何様ぁあぁあ

それにしてもまさかピアノとは…あの夏菜子が……ねぇえ(^o^) 

まさにピアノとゆー

“行為の落とし穴”でしたね(^o^)

夏菜子、エライ\(^o^)/

本日の総括回文

唸るや!…かな?(^o^)夏菜子、弾こ!なかなかやるナウ\(^o^)/

チーン



BGM

西田敏行
『もしもピアノが弾けたなら』

小沢健二
『ウルトラマン・ゼンブ』

 尾上松也&百田夏菜子
『鼓動の理由』『この世界をうまく泳ぐなら』

Ado
『うっせぇわ』






 松田洋子さんがリツイート

松本 隆
@takashi_mtmt
·
3月21日
自立する箱。時間を超え、世代を超え、プールに向いた窓から、優しい風がそよいでくる。



松田洋子
@matuda
·
3月21日
せっかく暴風がごうごういってるんで、大瀧詠一の『A LONG VACATION』を爆音で聞いている。
最初は高校生の頃に貸しレコード屋のをカセットに録音して聞いたと思う。
40年ずっと好きなんで、一生好きだろうな。





それを受けての


【今回のメイン記事、丸パクり、曽我部恵一、鈴木慶一、佐野元春\(^o^)/】


そして今回ブログのメイン記事は丸パクり3連発です(^o^) レコードコレクターズ、大滝詠一さんの40th『ロンバケ』特集の数あるコメントの中から悪魔でも私好みの曽我部恵一さんのコメントを手書きで丸写し(^o^)そして日本の裏ロック界のカリスマ鈴木慶一さんのインタビュー記事!

かつて曽我部恵一さんがプロデュースした鈴木慶一さんのアルバム「ヘイト船長とラブ航海士」がその年のレコード大賞作品賞とミュージックマガジン日本のロック部門1位を制したこともある黄金コンビの言葉を浴びてみてね

BGMはもちろん『KeiichiからKeiichiへ』で(^o^)


そしてすべての道はOJに通じる 小山卓治さんが尊敬する日本のロックミュージシャンといやー忌野清志郎!そして佐野元春さん\(^o^)/


そしてこのタイミングで『ウルトラマン・ゼンブ』同様に私一人だけがはしゃぎ続けてる感じですが(^o^)このニュース無茶苦茶嬉しいです\(^o^)/


 
2021年3月22日月曜日


ダディ柴田さんを迎えて



  去年の4月、サックスのダディ柴田さんをゲストに迎えるライヴが中止になった。
 それからずっと、リベンジを考えていた。

〈Beat the Emotion 2021  小山卓治 featuring ダディ柴田〉
5/8(土)東京 新宿御苑 Ruto
17時半開場 / 18時開演

 決まったよ。


小山卓治



ヤッホー\(^o^)/やはりすべての道はOJに通じるのだ…………かもね♪♪♪

大滝さんの話題ってことで佐野さんの記事もおまけに是非\(^o^)/

佐野さんの記事、嬉しかったですねぇえぇえぇえ

なぜならば私の大滝さんの1曲は

ミニにタコの

『1969年のドラッグレース』だから(^o^)

佐野さんはやっぱりわかってるなあぁあぁあぁあぁあ←当たり前じゃ、ボケ!


ロックンロール!!!!!!!\(^o^)/さらにおまけも!!


BGMはやっぱり

冨田ラボ
 『ペドロ~消防士と潜水夫 feat. 佐野元春』(作詞 鈴木慶一)

そして

大滝詠一
『1969年のドラッグレース』
で!





レコードコレクターズ 大滝詠一『ロング・バケイション』特集から

アンケート

私と『ロンバケ』


大滝さんのひとつの頂点のようにとらえてしまう。本当は創作に頂点なんてものはなく、ただ点々と作品が存在するだけなのだが。何がぼくにそんな、ある種の最終地点感を抱かせるのだろうか。ジャケットの誰もいないがらんとした夏は永遠を感じさせる。ここから1ミリも物事が動かぬよう凍結したという宣言に思える。福生で録られた数々の歌が持っていた人懐っこさはここにはなく、感情に左右されぬ快楽が歌唱として迫る。ドラッギーだ。心は揺さぶられない。ただ、松本さんが描く画だけが、恐ろしいほどクリアに浮き上がる。虚空を、ただブリーズだけが通り抜けて行く。

 昔、やさしい少年・星野鉄郎は機械の体を求めて遥か宇宙へ旅に出たそうだ。大滝さんのポップスの化身にならんとする姿勢に、鉄郎の姿がだぶる。ブライアン・ウィルソンやフィル・スペクターといった内なる狂気がポップスというよき棲家と出会う物語とは、ちょっと違う。そこには微かな悲劇の匂いが漂う。鉄郎は人間性へ帰依して物語は終わるのに対し、大滝さんは成就してしまったのではと、ぼくの夢想は止まらない。そう想うとき、甘い震えが体を支配する。『EACH TIME』に至っては恐ろしくて滅多なことでは聴くことができない。


曽我部恵一







 
鈴木慶一は「夢」など持たない?!|「カッコいい」の研究(第4回)鈴木慶一編

SPECIAL


 鈴木慶一はカッコいい。誰が見ても明らかだ。デビュー45周年を迎えるムーンライダーズのリーダーにして、膨大なCM音楽を作り、北野武映画をはじめとする映画音楽作曲家。日本を代表するポップ・マエストロの新作『MOTHER MUSIC REVISITED』は、1989年に世界的大ヒットを記録したゲーム『MOTHER』の自作サウンドトラックを改めて再演したアルバム。鈴木自身にとっても「エポック・メイキングだった」と語るほどの名作はどのような形で蘇ったのか。「死ぬまでにやっておくリストに入っていた」という新たな名盤を軸に、“カッコいい”についての話を訊いた。音楽活動51周年、2021年はムーンライダーズ活動開始の年になるという。華やかな話題に包まれたマエストロは、変わらず洒脱に、まったく力むことなく鈴木慶一流のカッコよさを語ってくれた。



 鈴木慶一の“カッコいい” ──「夢」など持たない

──まずは率直な質問です。鈴木さんにとって、「カッコいい」とはなんでしょう?

 そうだな……「夢」を持たないことは、カッコいいと思うね。

──「夢」を持たない? 

 そう。「将来の夢」とか、若い頃から考えたことないもんな。こういう70代になりたいとかさ、そういうの全くない。そもそも、私には夢も希望もない(笑)。

──そりゃまた身も蓋もない。

 明日は暗いしさ。未来は吊り天井(笑)。

──なんか、元気出ないんですけど。

 (笑)いや、つまり、力んだ信念みたいなものを持たないことにするというかさ。今後何が起こるかは、誰にもわからないわけだから。

 『トゥモローワールド』という映画で(2006/英米合作)、子どもがもう生まれなくなってしまったロンドンで、老ヒッピーの役のマイケル・ケインが言うんだ。「信念は偶然に敗北する」って。とてもいいなと思った。偶然に起きるいろいろなことを、その都度その都度受け入れていたほうがカッコいいじゃない?  僕はこうならねばならないとか、こうありたいとか、そういうのは、持たない。

──敢えて、持たない。

 だって、そうすればさ、信念が達成できなかったときのダメージも小さいじゃない(笑)。


 「いい加減」と「まじめ」の間

──でも、鈴木さんは、音楽生活50周年を超えて、人も羨むようなキャリアを作り上げているじゃないですか。順風満帆ですよね。

 ラッキーだったの。本当に、それだけだよね。

──えー、そんな。

 本当ですよ。そりゃ若いときには、ずっと音楽を続けていきたいという気持ちだけはありました。それは今もあるし、実際に音楽をずっと続けてこられている。最初にアルバムをリリースしたときの喜びやワクワクした気持ち、それはなくなっていません。それはもちろん大事で、だからこそ、今も音楽を作っているわけですよね。

──それは「夢」をかなえたということですよ。

 でもなあ、そもそも、プロの音楽家になったかどうかも曖昧だったんだよなあ(笑)。これからどうすればいいかわからないような高校3年の冬にあがた森魚と出会って、それまで一種の引きこもりだった僕を外に出してもらった。その後音楽に関わる友達が増えて、彼らと一緒にその後も音楽を続けている。確かに、「夢」が現実になったといえるのかな。いや、音楽をやるということが夢だったわけじゃない。確率の低い願望だった。その後は毎日が現実だからねえ。現実を積み重ねて今日に至るということなんだ。要するにですね、あんまり真剣に生きていないのです(笑)。

──しかし、今回の『MOTHER MUSIC REVISITED』を聴いても、ものすごく力が入っているじゃないですか。鈴木さんの音楽がいい加減なものとは思えないですね。

 音楽については、もちろん一所懸命ではあるよね。それはそう。まじめに音楽を作ってきてよかったとは思います。それは本当。

 私は過去を振り返ることはほとんどなくて、これはハルメンズにいた上野耕路くんに教えてもらった方法なんだけれど、新しい音楽づくりが上手く進まないときに、自分の昔の作品を聴き直せと。聴き返してみると、そこそこ上手くやっているし、偶然にも恥ずかしいものは残していない。それはとてもラッキーなことで、今の自分が前に進む原動力になるよね。

──それはまじめって言うんじゃないですか? 

 ん……そうだね(笑)。でもなあ、真剣さとは程遠い感じがするんだよなあ。解消法だと思う。




 若き鈴木慶一の肖像

 ──鈴木さんはお若い頃から達観できていたんですね。

 とんでもない(笑)。若いときには余裕がなかったよ。余裕をかましているように見せているだけだった気がする(笑)。若さゆえの自分隠しだ。

──(笑)。

 そして、若い頃は、単に、ものごとを決断するスピードが遅かったんですよ。まだあんまりわかってないしさ。老人になると決断が早くなる。もう先は短いわけだから、素早く結論出さないと人生が終わっちゃうじゃん(笑)。

──ということは、鈴木慶一青年にも悩みや迷いがあったんですね。

 そりゃそうだよ。若いときは迷いっぱなしだよ。

──その中で、最も大きかったことはなんだったと思いますか?

 1951年に親父とおふくろが結婚後、数ヶ月で私生んでくれたということかな。20世紀のど真ん中で、つまり、自分の成長とポップ・ミュージックの広がりが見事に同期したんだよね。1964年、中学生の時にビートルズの「抱きしめたい」を聴いて、その後彼らはどんどんと変わっていく。同じことはやらないわけだ。そして社会に出る1970年にビートルズは解散する。そのことが50年以上経った今も心に残っているよね。あのときにあれを体験できたのは、本当に夢のような出来事だった。いや、「夢」は見ないんだけどね(笑)。

──大丈夫です(笑)。

 60年代をあんなふうに過ごせたことは素晴らしかった。ビートルズ解散後の1971年の私は20歳で、既に自分も音楽を始めているわけだし、当時の日本に、僕らがやっているような音楽はそう多くはなかった。その後ほぼ同じメンバーやスタッフで小さな社会ができて、無くなって、かたちや人が変わって、また出来てを繰り返して50年近く続けられている。すごく感謝するよね。誰への感謝かわからないんだけどね。出会いに感謝かな。


 バンド=民主主義には手間がかかる

──この2021年、久々にムーンライダーズが活動を開始します。結成から46年目。日本で、ひとつのバンドをここまで長く、メンバーチェンジもほとんどなく続けている例はほとんどないと思います。

 確かにそうかもしれない。

──そのコツはなんでしょう。

 ひとことでいうと、優しさですね。

──優しさ! 

 そう。メンバー全員が、ムーンライダーズというバンド、その名前/ブランドに対して、優しい。バンドがいい作品をつくるためなら徹夜でもなんでもするぞ、と。これは優しさです。バンドって面倒なんだよね。でも、その面倒を嫌がったり、手間暇を惜しむ人は誰もいなかった。これはムーンライダーズの特徴で、本当に幸せなことだよね。

──バンドの面倒というのは?

 民主主義には手間がかかる(笑)。やっぱり人はそれぞれ違うしさ。変化もあるし、40年以上一緒にやってても、あれ、君ってそんなキャラクターを持っていたの? ということもある。それをすべて認めて、違いを取り込んで、ぶつけ合って音楽を作る。それは途方もなく面倒なことなんだけど、それでもそうしたほうが質の高いものが生まれるという確信がある。手間暇かけてもやるぞ、という覚悟みたいなものがあるのかな。個性はそれぞれ違うけれど、お互いが無意識にこいつとは合うと思える。これは奇跡というか、素晴らしい偶然だよね。

──成熟した人間関係になっているんですね。

 ひとりの力では無理があるからね。音楽は社会的なもので、人間関係でもある。ひとりでは、自分が作った音楽の良し悪しすら上手く判断できない。映画音楽も、それをどう使うかを決めるのは監督だったりするよね。人間関係が一切ないとしたら、自分以外は誰も聴かない音楽を作るということでもある。それは……一度やってみたいけどね(笑)。







 ──今回の『MOTHER MUSIC REVISITED』は、1989年の大ヒットゲーム『MOTHER』の鈴木さんご自身によるサウンドトラックの再演です。この制作のきっかけはどのようなものだったのでしょう?

 私には死ぬまでにやりたいリストというものがあるんですが、『MOTHER』のサウンドトラックを自分で歌うことは、その中のひとつだったんです。『MOTHER』は僕にとっては重要なアルバムで、初めてのゲーム音楽だったし、大きなターニング・ポイントでもあった。

──ターニング・ポイントだったというのは? 

 ゲームの音楽というものは、プレイしている間に無意識に聞こえてくる音楽ですよね。その音楽を、自分でもいいなと感じる音楽にしたいとずっと思っていたんです。一方で、当時のゲーム音源はまだ同時に出せる音の数が少なかった。当時任天堂にいらした田中宏和さん(ゲーム音楽作曲家)といろいろ研究しながら作ったんだけど、音数が少ない分、必然的に音楽の焦点がメロディに特化されていくことになる。それで、メロディを入念に作ったんだな。

──まじめに作ったんですね。

 そう(笑)。そして当時、メディアミックスとして、『MOTHER』のゲーム音源をきちんとしたヴォーカリストや楽器で録音し直してCDで出そうということになった。それが私にとって、初めてのロンドンでのプロデュース経験になったんだよね。オーディションをして、あのキャサリン・ワーウィックというヴォーカリストを探し出して、現地でレコーディングを行った。これは本当にw私にとって大きなことだった。

──どのようなことにおいてですか?

 やっぱりね、ビートルズの国に来たなと実感したんだよね。ポップ・ミュージックの歴史が長くて、その蓄積が違うんだ。ミュージシャンもスタジオのスタッフも、機材も含めてみな音楽にすごく詳しくて、プロデューサーとしての判断も即時に求められる。恐るべき場所だと思った。選んだ人、出会った人が良かったとも言える。

 そしてその頃、ムーンライダーズは休んでいたんです。メンバー皆が、ソロアルバムを作る時期にしようとしていたの。そしてある時、キーボードの岡田徹くんが『MOTHER』のヴォーカルヴァージョンを聴いて、お、ソロができたね、と言ったんだよね。それがムーンライダーズ再開のきっかけになった。だから、いろいろな意味で思い出深い作品なのです。

──今回も、新たにムーンライダーズが活動開始ですね。それにしても、あれだけ世界的にヒットした名作のリメイクは大変だったのではないでしょうか。

 最初は大変でしたね。録音は進んで行くけど不安なんだ。『MOTHER』は世界中にマニアがいるから、そういう人たちが聴くんだろうなと。でも、ある時、それをやめたんです。聞き手を限定する必要はない、自分が作りたいものを作ればいいんだ、と。それに向かうのは、『MOTHER』の存在が大きくて難しかったんだな。今の洋楽を作るんだと決めて、それからは楽に進みましたね。これが出来てとても嬉しい。ずっとやりたかったことだからね。非常にメモリアルなものになっていると思います。

 だけど、本当にマニアが多いからさ。2019年にもアメリカからファンが10人くらい来てさ、ドキュメンタリーフィルム作っていたりしててさ。そういうのを体験するとプレッシャーになっちゃうんだよね。

 でも、出来上がっちゃったもんね。賛否両論になると思う。それが道理だろう。でもね、勘弁してくださいな(笑)。これは私なりの『MOTHER』だからさ。デラックス・エディションには当時のゲーム音源も入っているから、そっちを聴いて当時を回想してね、と。さらにビルボードのライヴヴァージョンも待機しているよ。

 変わらず、変わり続ける

──お話を伺っていると、鈴木さんのキャリアは、大きな円を描くような、大きく振れながらも中心が動いていないような、そんな印象を持ちます。

 そうだなあ、変わらないとこはあってもいいけど、変わるところもたくさんあったほうがいいと思うからね。ディランじゃないけど転がる石のごとくにね。たとえば僕は、誰かに、それって違うんじゃない? と言われたら、そうかもしれないなとすぐ思っちゃうもん。ほとんど否定しない。

 だから、昔から変わってないと言われるかもしれないけれど、変わることこそ楽しいんじゃないかとも思うよね。変わらず、変わる。禅問答みたいだけど(笑)。

──それは、はじめに伺った、信念を持たないということと重なりますか。

 自分の生き方を決めてしまうのは難しいと思うんだよね。ビートルズが解散した1970年には三島由紀夫の事件があった。あの結末は思想と身体による>信念の行動だったのかもしれない。三島の作品にはいいところもいっぱいあるんだけどね。あの巨大な虚無感……それのみ非常に魅力的だ。そうだ、意識の深部にある虚無感も大事かもしれないな。

──となると、改めて、カッコよく生きるためにはどうすればいいでしょう。

 自分がカッコいいと思えることをたくさん見聞きすることなんじゃないかな。結局、それによって自分のカッコいいについての感覚は磨かれる。だから、たくさんのカッコよさを外から浴びること、これこそがカッコいいと言い切ったほうがいいかもしれない。自分がどう見えるかなんて考えず。

──今回の『MOTHER MUSIC REVISITED』の実現は、鈴木さんの死ぬまでやるリストに入っていたとのことでした。これが完成した今、そのリストにはまだやりたいことがたくさん残っているんでしょうか?

 うん、いつも2、3はあって、今回はそのひとつが実現できたの。

──えっ、じゃ、もうひとつふたつしかないじゃないですか。

 大丈夫、増えていくだろうし、見つかっちゃうかもしれない。ほら、人生は偶然に左右されるからさ(笑)。






【大滝詠一はロックンローラー!? 佐野元春が選んだ意外な一曲。】


佐野元春

J-WAVE「STEP ONE」の特別番組「Pen TALK ABOUT EIICHI OHTAKI」。本日3月18日(木)のゲストとして登場したのは、ロックシンガーの佐野元春だ。1981年に、ナイアガラ・トライアングルのプロジェクトで大滝詠一と共演を果たした佐野。その当時の印象について「とても面白い人で、ポップ音楽を愛した人」と佐野は追憶する。「音楽だけでなく、世の中のあらゆることに好奇心をもっていて、そういう姿勢が普遍的かつ永遠に人々の心に残るポップ音楽を数多く生み出してきた要因だったのではないか」と語る。



同年に発表された佐野の代表曲のひとつである「SOMEDAY」の誕生にも、大滝の存在が大きく影響しているのだという。「大滝さんがレコーディングをしていたスタジオに赴き、大きなヒントをいただきましたね。この楽曲はウォール・オブ・サウンド(フィル・スペクターが1960年代前半に開発した、音圧を上げるための音楽制作手法)の影響を受けて制作したのですが、どうやって完成すればいいのかわからずにいたところ、制作現場を見てこうすればいいんだとわかりました」

また、大滝とのセッションの中で最も印象に残っているのは、『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』に収録された佐野の作詞・作曲による「彼女はデリケート」だ。「当初はフェイド・アウトで終了するつもりでいたのですが、大滝さんに聴いていただいたところ『佐野くん、ロックンロールはカット・アウト(唐突に音を終わらせる手法)だよ!』と言われ、その場で変更しました」

そのため、佐野が選んだ大滝の一曲はロックンロールな楽曲「あつさのせい」。

「大滝サウンドと言うと『ロング・バケイション』のような煌びやかなポップ音楽というイメージをもっている人も多いかもしれないけど、実は大滝さんはロックンローラーなのです」






すると鈴木慶一さんもつぶやく


 
鈴木慶一
@keiichi_suzuki
·
14時間
ははは、こりゃ楽しい。k1





 【僕が高校時代にカバーした音源を、褒めてくださって。 ──佐野史郎が明かす、大滝詠一の知られざるエピソード】


 高校生だった1970年に、はっぴいえんどの「12月の雨の日」を聴いて衝撃を受けて以来、いまに至るまで熱心な大滝詠一ファンであり続けている佐野史郎。93年にラジオ番組で初めて対面した時は、高校時代にカバーしたはっぴいえんどの「春よ来い」のカセット音源を持参。大滝本人に聴いてもらったことがあると明かす。
「ずっとファンで居続けたんだという想いを伝えたい一心でした。いま考えると怖いもの知らずですが、当時はとにかくわかってくださいという気持ちを抑えられなかったということですね。リップサービスでしょうが『鈴木慶一よりうまい』って言ってくださいました(笑)」
これを機に交流が始まり、年に1回は会う間柄に。

大滝詠一ファンクラブのグリーティングカードと、76年に『ゴー! ゴー! ナイアガラ』で放送された「クレイジー・キャッツ特集(ゲスト:植木等)」をエアチェックしたカセットは宝物だという。

「お会いするとその時々に大滝さんが興味をもっていることが話題になるのですが、僕が俳優をしていることもあって、日本映画の話も多かったですね。とにかく研究熱心で、体系立てて分析されるので、こちらが中途半端な知識で口を挟もうものなら、徹底的に論破されました」
数ある想い出の中でも特に忘れられないのが、2009年にリリースされた、女性アーティストだけによる大滝詠一トリビュートアルバム『A LONG VACATION from Ladies』の記念コンサートで司会を務めたこと。
「曲やステージの構成などの演出にも加わらせていただいたのもうれしかったのですが、その後の打ち上げが最高でした。金子マリさんとか大貫妙子さんが大滝さんと一緒に居るわけですよ。大滝さんと金子さんがずっとルーツであるロックンロールの話なんかをしていて、それを横で聞いている時間は本当に幸せでした」




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