NewJeans
今年のレコード大賞はやはりYOASOBIの「アイドル」ですかね?なんせぶっちぎりの一人勝ちですもんね 私自身の今年はもちろんNewJeansに尽きる\(^o^)/ これを越える衝撃は無いと思われます 2曲しか知らんけど(^o^) 目下の最大の喜び、楽しみはTVCMで彼女達の歌い踊る「ETA」を偶然目撃すること(^o^) 小田和正さんは大谷さんがホームランを打つと1日気分が良いらしいですけど、私もこのCM見ると1日気分が良い(^o^) 無茶苦茶アガる(^o^)で、おそらくはNewJeansをさっぱり理解してない、下手すると一般ピープルにも及ばない程度の私ですが、バカ丸出しでそれでも十代の重大な自由だい!=NewJeansを語りたい(^o^)
みんな一人一人が絶対センターで四番でエース、まさに大谷選手が五人いるわけですが(^o^)一応、いまのところ一番の推しが一番小柄で童顔のベトナム人でオーストラリア人、トリリンガル(英語、ベトナム語、韓国語)ハイブランドGUCCIのアンバサダー
すいません、ハニちゃんの写真沢山載せたかったんですが削除されました😭
まぁいずれ何処かで必ずや目撃する羽目になるのでご自分の目で確かめてね
ハニちゃん
今回の集合写真の一番左はすべてハニちゃんです
まぁルックス的に飛び抜けてるわけではありませんし、個人的な好みでもございませんが、とにかくやたらと可愛い! じゃあなぜ彼女を推すかというと単純明快 私がテレビで録画し、繰り返し見ていた「OMG」「Ditto」の2曲でリードを取り、活躍が目立ってたから 他の曲を知らないので彼女のリードの役割はたまたまかもしれませんが彼女の動きが目立つので必然彼女の姿を追うことになります ところで件のCM「ETA」でも肉付きの良さで目立ってます(^o^) しかしながらこれはキャンディーズにおけるスーちゃんが目立ってしまう理屈と同じで彼女はそれはそれでスタイル抜群です!(^o^)例えが昭和でおじいちゃんでさーせん!そんなわけでついつい目立つ彼女に視線が行き勝ちで、するってーとパフォーマンスが始まるや否や彼女のハイセ
ンスなダンススキルはもちろん一挙手一投足、溢れんばかりの多彩なちょっとした仕草や動きから顔の表情の豊かさ変化まで、なるほど!
How manyいい顔!!とは実にこの事を言うのか!などと大いに頷けるのです(^o^)
また逆に嗚呼、これだから彼女がリードを取るんだなと納得するってわけです
「OMG」の中ではグレイシートレイン???を披露 彼女が先頭、運転手、つまりはヒクソン・グレイシーの役割になるわけですが
まさに
四百戦無敗の無敵の超絶可愛さ!
なるほど彼女達が最高最強と連呼されるのはここか←ちがう ちがう
しかしながら右を向けば前田敦子、左を見れば平手友梨奈がいるとんでもないグループなわけですから(^o^) 全員魅力たっぷり!そのデビュー以来彼女達をめぐっては様々な数字的な記録が飛び交ってますが、あまり興味はございません だっておじいさんには聞いてもわからんし(^o^)しかしながらここで専門知識にあまりにも疎いのでちょいと彼女達の魅力についてネットからパクりますね
では、NewJeansの人気の理由はどこにあるのだろうか。10代のアイドルらしい可憐なビジュアルが印象的だが、パフォーマンスのレベルは非常に高い。グループが追求する音楽にふさわしい個性的な声色がそろったほか、各メンバーがハイトーン、スタッカート、ウィスパーボイス、エッジボイス、ファルセット(裏声)、ミックスボイスなど難しい歌唱テクニックを完璧にマスターしている。
また、ダンスの実力が非常に優れているのも特徴だ。デビューミニアルバム収録の『Attention』『Hype Boy』などの振り付けは自由で柔らかいフィーリングがある一方、機械的にそろえていないためバラバラに見えるが、メンバー全員ともにダウン・アップやアイソレーション、トゥループ、ボールチェンジ、ランニングマン、クラブステップなどのヒップホップダンスやロックダンスの基本がしっかりできていてリズム感に優れているため、ぎこちなさを全く感じさせない。2枚目のミニアルバム収録の『Super Shy』で披露している激しい腕の動きのワックダンスもキレがあって優雅ですらある。
それにもまして成功の最大の要因と思われるのが『ADOR』の代表であるミン・ヒジン氏のプロデュース能力だ。彼女はSMエンターテインメントのアートディレクターとしてSHINee、少女時代、EXO、f(x)らのファッションやアートフィルムなどを担当したが、2019年にBigHitエンターテインメントに転職。BTSを育てたパン・シヒョク議長とタッグを組んでHYBE傘下の新規レーベル『ADOR』を設立しNewJeansを世に送り出した。
NewJeansの楽曲のミュージックビデオ(MV)は驚きの連続だ。『Attention』と『Hype Boy』の斬新な色調、視聴者を引き込む『Ditto』のノスタルジックなコンセプトと謎のストーリーはこれまでのK-POPにはないインパクトを残した。最新アルバム収録の『Super Shy』はフラッシュモブとワックダンスを組み合わせる大胆な絵柄で魅了し、『Cool With You』のMVには『イカゲーム』に出演したモデルのチョン・ホヨンと香港俳優のトニー・レオンが出演。ギリシャ神話の「プシュケとエロス」を現代版にアレンジしたうえでジェンダーを交替させるという奇抜な発想で衝撃を与えた。
さらに、グループ名そのままの楽曲『New Jeans』は90年代後半に人気となった米アニメキャラクター・パワーパフガールズとコラボ。また、ブレイクビートにファベーラファンクを加えた『ETA』は米巨大企業・アップルとの全面提携という巨大プロジェクトでiPhone 14 Proによって撮影された。男女の三角関係を破滅的に描くことで情報過多時代に生きる若者への警鐘となっている。いずれも一筋縄ではいかない独特なストーリー性が織り込まれているため世界中のファンの間で考察が行われ、そのリアクション動画がYouTubeにあふれた。
ミン・ヒジン氏の独創性は細部にわたっている。『New Jeans』の映像に登場するアプリメッセージの送信時刻がデビュー日の「7:22」となっているほか、『Super Shy』でメンバーが髪に付けている「Angel」の文字が他の楽曲のMVのストーリー展開に深く関わっているなど、コンセプトの作り込みがあまりに深い。ミン・ヒジン氏をはじめMV制作に関わったスタッフの比類のない想像力と企画力がなければここまで高い水準のMVは誕生しないだろう。
音楽ジャンル的にはUKガラージやジャージー・クラブを採用するなど90年代~2000年代に流行した曲調を現代風にアレンジしている。楽曲、ダンス、ファッションが全体的にY2K(Year2000の略称)の雰囲気に包まれているため、年長者にとっては懐かしい気持ちに、MZ世代にとっては見たことがない新鮮で楽しい気持ちになる。この両世代の心に刺さるようコンセプトが作られているところに音楽マーケティングの才能を感じる。
今後、New Jeansは19日に千葉・ZOZOマリンスタジアムで開催される『SUMMER SONIC 2023』に出演予定。デビュー後、日本では民放の音楽番組や『KCON 2022 JAPAN』『東京ガールズコレクション 2023』などに出演してきたが、単独ツアーを期待する声がいっそう高まりそうだ。
一番左がやはりハニちゃん
分かりました??頭の悪い私は自信がございません
などと、NewJeansちゃんを見ているとポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』を初めとした韓国映画の数々に圧倒され日本の映画が個人的に気持ちのいい敗北感を味わった頃を思い出しますね S.E.Sは今聴いても素晴らしいですが当時は敗北感はなかった NewJeansちゃんには今のところやられまくってます とても清々しい気持ちのいい敗北感がある(^o^)だから日本のアイドル頑張れ!
とは言え日本のアイドルも時を同じくして目撃している、例えばあのちゃん(あまのじゃ子)のロックだぜぇえ!と、絶叫してから歌い踊るへんてこりんなアレとか、大人気アニメ『チェンソーマン』のエンディング「ちゅ、多様性。」テレビで歌いまくったあざとかわいいに特化したブリブリの日向坂の新曲「Am I ready?」やら相変わらずのももクロ「走れ!」フルサイズで初めて聴いた見た僕青(僕が見たかった青空)の「青空について考える」デビュー曲に限定すれば私の中ですでに乃木坂越えを果たしてます(^o^)その僕青から狙われる羽目になった乃木坂46の新曲「おひとりさま天国」(ちなみにこの新センター井上和ちゃんはまさに乃木坂ブランドを体現するに相応しいルックスの持ち主ですね でも私の最近の乃木坂推しは
筒井あやめちゃん(^o^)リアルにたまらん(^o^))韓国寄りのアイドルNiziUの「COCONUT」「LOOK AT ME」(ミイヒちゃん元気で良かったなあ)久しぶりにゆいゆい(小栗有以)がセンターに立ったAKBの新曲「アイドルなんかじゃなかったら」これはテーマが恋するアイドル(^o^)いきなり掟破りの山口百恵さんのマイク置きから始まりエンディング近くでマイクを手にするとゆー斬新な演出(^o^)まさにさよならの新たなる向こう側じゃん(^o^) 秋元さんまだまだ元気ですね(^o^) ハマいく(生田絵梨花)「ビートDEトーヒ」今なお“キングオブ学芸会”を標榜してるのかは知りませんが私立恵比寿中学の「kyo-do?」とどめはその歌唱力の無さ、ダンスのポンコツさでNewJeansの対極にあると言える
いとしのえりぃ(千葉恵里)まで(^o^)
あっ、えりぃの数少ない武器はウインクですが、ハニちゃんもウインクの達人だとか?対決が楽しみです
もっともまぁ何もかもが完璧なワールドクラスのアイドルとAKBのダンスも歌もポンコツで性格の悪さと長身スリムと美貌
のみが売りの無名センターでは話になりませんが(^o^)
最近テレビで確認した日本のアイドル達の楽曲のことごとくゆるいことゆるいこと(^o^)
しかしながら
これでいいのだ!
いみじくも番組『キョコロヒー』の中でNewJeans「Ditto」を分析、絶賛しながらもどさくさ紛れに、あるいは苦し紛れの忖度で何の脈絡なく
齊藤京子には齊藤京子の良さがある!
と、突然絶叫されたTAKAHIRO先生の有り難いお言葉(^o^)
そう、日本独自のアイドルの可愛らしさ そのゆるさ、しょーもなさも含め愛してしまっているんだなあ 昭和のおじいさんだから 何でもあり(^o^)
私の中ではNewJeansこそが偉大なる例外(^o^)
思えばミニにタコですが昨年の彗星のごとく現れたいとしのえりぃと齊藤京子さん同時期センター就任から遅ればせながら今年になってようやく気づいたNewJeans そして間違いなく今年を代表する曲になるであろうYOASOBIの楽曲タイトルは「アイドル」\(^o^)/
そしてそれは
十代の重大な自由だい!(私が尾崎豊さん関連の記事を書くときのバカの一つ覚え)=NewJeans VS ちゅ、多様性。(日本のアイドル)の様相を呈してるんだなあ(^o^)
とにかく今年もいい年こいてアイドル万歳である\(^o^)/
あっ世界最大級のアイドルイベントTIF(東京アイドルフェスティバル)は今年もテレビでねる(長濱ねる)の取材番組を見ただけで終わりました 新人アイドルまったく一組も覚えれなかったです ただひたすらねるを眺めてました(^o^)←サイテー
さて、以下は付録です PANTA好き限定です
僕は実にPANTAが大好きだったみたいです 時おりふとした瞬間に思い出します 涙しそうになることもあります 人でなしのくせに
あれからPANTA及び頭脳警察の持っているアルバムをじっくり年代順に聴いてみようかな…なんて思ったりもしますが実行してません あっわけあって頭脳警察の「時代はサーカスの象にのって」(作詞 寺山修司)を聴いたのみ
オーケン(大槻ケンヂさん 筋肉少女帯)が
大槻ケンヂ・オーケン
@OfficialOken
·
7月8日
僕にもし人生の応援歌があるとするならそれは頭脳警察の「時代はサーカスの象にのって」とエンケンさんの「不滅の男」いつ聴いても勇気がわきます。
呟いていたから
あと、話好きで、饒舌(私のライブなどで受けた印象)なPANTAのことだから松原みきさんと天国で再会を果たし今頃は開口一番
お前の曲「真夜中のドア~Stay With Me」が下界、それも世界中で大変なことになってるぞ!などと楽しそうに語りかける姿が目に浮かぶよう(^o^)
で、気がついたらリアルタイムで初めて聴いた、その後のハード&ソフトな個人的なPANTA観を決定付けた『反逆の軌跡』になぞらえ意図したわけではないのですがハードとソフトのPANTAの記事をそれぞれ二回に別けて書いたわけですが、そのオーケンさん(ソフトPANTA)と雨宮処凛さん(ハードPANTA)が私の記事を
おいおい、もちっとまともな文章を書けよ!などと、言わんばかりに、まるで私の駄文記事を知り補強するかのような追悼文をアップされてたのでもう嬉しくて嬉しくて(^o^)
だからパクりました PANTA好きは是非読んでみて!
オーケン 大槻ケンヂ 筋肉少女帯
最高のロックンローラーであるPANTAさんが亡くなった。73歳。闘病中とは聞いていたが、急な訃報を七夕の日の昼に知った。
その日は夕方から川口の方面に車で出かける予定があった。車の中でずっとPANTAさんの歌を聴いた。どの曲も、最高だ。
PANTAさんの歌を知ったのは、中学生の頃だったか。多分「兵頭ゆきのセイヤング」かなんかから流れてきた頭脳警察の「ふざけるんじゃねぇよ」という曲を聴いて、僕は勉強部屋で深夜に一人衝撃に打ち震えてしまった。~ふざけるんじゃねぇよ、動物じゃねぇんだぜ~と、パンクロックの出現より早くパンクな言葉を叫ぶPANTAというボーカリストの迫力に圧倒され恐怖さえ覚えた。
深夜放送等の情報などによれば頭脳警察は学生運動の集会でもよく演奏し、反対セクトからステージに投げ入れられた火炎瓶を投げ返しながらライブを続けたという。
やっぱりコワい人なんだな! そう思ってレンタルレコード屋に頭脳警察のLPを借りに行くと、店番の長髪の兄ちゃんは学ラン姿の僕をチラリと見て、「君が聴くの?」と鼻で笑ったのだった。
「え、ど、どうもスミマセン」
訳もわからず謝ってしまったが、兄ちゃんは頭脳警察を辞めたPANTAが今やっているというPANTA&HALのレコードを教えてくれた。
『マラッカ』『1980X』どちらも大好きになって「マラッカ」「つれなのふりや」「極楽鳥」「ルイーズ」どれだけ聴いたがわからない。どの曲もPANTAがかっこよくて、ショッキングで極上のしびれるロックだった。そして大人の迫力に満ちていて、コワかった。
PANTAさんに初めてお会いしたのはいつだったか。初めて共演したのは東新宿にあった日清パワーステーションだったと思う。
楽屋で緊張しながら僕が
「ルイーズが大好きです」
と言うとPANTAさんはニコ~ッと笑って
「今日その曲やるよ。じゃ大槻出てこいよ」
とこともなげに言った。
「え?」
「一緒に歌おうぜ」
それで出会って間もなくで僕は畏怖すべき大先輩である彼と共演を果たしてしまったのだ。楽屋に戻ると大先輩はニッコニコしながら
「大槻、やったな」
とサムズアップ。なんてかっこいい人なんだ!
PANTAさんに会ったことのある人なら全員言うと思うが、彼は『この人ちょっと大丈夫かなぁ』と思うくらい、やさしくて気さくな人柄であった。
「大槻、前に仙台のイベントに出たろ。あの時にSHOW-YAも出ててさ。そこに筋肉少女帯なんて言うから、俺てっきりSHOW-YAのことを筋肉少女帯だと思ってたんだよ」
なんてことをデビューしたての後輩の肩をポンポンと叩きながら、アッハッハとまず笑ってふわっと懐に包み込んでくれるのだ。~ふざけるんじゃねぇよ~からのこのギャップ萌えである。誰だって大好きになってしまう。そして親しくさせてもらうと、さらに『ちょっとこの人マジ大丈夫かぁ?』との思いが強くなる。
PANTAさんは車のマニアで、ロータス・エランや、一時期はロールス・ロイスに乗っていたのだけど、ある日
「大槻、プロレス観に行こうぜ」
と電話が来てPANTAさんがロールス・ロイスで僕の家まで迎えに来てくれた。
しかし会場へ行くと駐車場がいっぱいだった。
でかいロールス・ロイスが狭い道に入って駐車場を探すのは至難の業だった。どうしよう? 雨まで降ってきた。すると運転席のPANTAさんが
「大槻、待ってろ。探してきてやる」
と叫ぶや、ダッと雨の中、出て行って走り回って駐車場を探し始めたのである。後輩は「え~っ」と思いながら、車番をしているしかなかった。真っ白なロールス・ロイスのなかで。
車、ミリタリー、歴史、PANTAさんはとにかく博識であった。知らないことがない。天才でかつ勉強家なのだ。何せ僕に「新世紀エヴァンゲリオン」について一番詳しく解説してくれたのはPANTAさんだった。
練馬にあったビストロで夜、酒を飲まない彼はカフェオレの入ったマグカップを片手にありとあらゆることを教えてくれた。
「大槻、68年と69年で時代がまったく変わってしまったんだよ」
ただ学生運動に関してはその時代を生きていないのでピンと来ないことが多かった。こちらがもっと勉強して、とにかく熱かったらしいその頃のお話をキチンとうかがえればよかったなと心残りである。
そしてもう一つ僕にはPANTAさんの大好きなところがあった。それはPANTAさんが若いコが大好きなところだ。
いや全然けしてまったくそれはいやらしい意味ではなくて、PANTAさんはとにかく若いコに紳士的にやさしかったのだ。かわいいコを見るとニコニコニコ~!と笑顔になって、その様子を見ているとこちらまでニコニコ朗らかな気持ちになってくるのだ。僕が若い女性のミュージシャンや誰かを
「あ、PANTAさん、こちら〇〇をやっている〇〇ちゃんといって……」
と楽屋などで紹介するとPANTAさんは
「お、おお? そうか、うんうん」
といって僕を差し置いて〇〇ちゃんとニコニコ話しだすのだ。僕はその度に『ああ、先輩孝行ができたな』とちょっとほっこりするのだが、その次にPANTAさんが僕のライブに来てくださった時にはしっかり隣にその〇〇ちゃんがいたりする
「大槻、このあと〇〇ちゃんとメシ行って送るんだけど、おまえも来る?」
え、はい?
「PANTAさんは紳士で送ってくれてパパみたいにいい人」
と、どの〇〇ちゃんも言うだろうか。信頼され尊敬されていたのだ。
やさしくて気さくで博識で若いコが好き。僕は中ではわりと「若いコが好き」の部分に親しみを持っていた。そしてPANTAさんも大槻はそういう視点で自分を面白がっている、と気づいておられたのだろう。最後の10年くらいは先輩の方からよくネタを振ってくださった。
例えば、「夏の魔物」というフェスでお会いした時、遠くからPANTAさんが
「お~い!」
と大きく手を振りながら歩いてきたので、何を言うのかと思ったら
「お~い大槻、アップアップガールズ(仮)と写真撮りたいから大槻来てくれよ」
だって。もちろん行きました。
PANTAさんに最後に会った時もそうだった。去年、PANTAさんのスタッフから「PANTAが大槻さんに会いたがっている」と聞いて、所沢に会いに行った。
病が進行していることは知っていたし、わざわざ会いたいと人づてに言うのだ。よほどこれは容態が悪いのだろうと、人工呼吸器を付けたベッドの上のPANTAさんに会いに行くつもりで覚悟を決めて所沢の駅前に着くと、PANTAさんが自分で車を運転して迎えにきてくれたので驚いた。
PANTAさんはイタリア料理店でフルコースをご馳走してくれた。車、ロック、映画、沢山の話をうかがった。それでも話しが尽きなくて喫茶店に場所を変えてまた沢山の話をした。
「大槻、そして69年、東大安田講堂事件が起こったわけだ。それによって世界は……」
学生運動についてはやはり勉強しておかなくてはな、PANTAさんの話をもっともっと聞くためにはな、と僕は思った。昼に会って、夕方まで語り合った。思い出の所沢デートである。帰りもPANTAさんは車で所沢駅まで送ってくださった。そしてPANTAさんは車を降りた僕に最後にこう言ったのだ。
「大槻、またかわいいコ、紹介してくれよな」
ニヤッと笑ってPANTAさんは去っていった。
僕はその時、もしかしたらPANTAさんと会うのはこれが最後かもしれないと初めて意識した。
あれだけ頭のいい、気遣いをなさる、そして言葉をあやつるロックミュージシャンなのだ。もしかしたらこれがラストになるかもしれないシチュエーションで、去り際の言葉を選ばない訳がない。別れの決め台詞を考えないはずはない。そしてそこにあるだけのユーモアを込めて、別れゆく相手に個別に、さびしくならないよう、ジャストチョイスをしないわけはない。
『あ、PANTAさん……』
僕はしばし所沢の駅前で固まり、いやでも、こんなにお元気なんだものと自分に言い聞かせた。しかし、そうしているうちに一年以上が経って、お会いすることなく今年の七夕の日を迎えてしまった。
「マラッカ」を聴き終わる頃には川口に到着していた。
川口の商店街では七夕祭りがあったようだ。浴衣姿の若い人たちが夜道に膨らんで歩いていた。
コンビニの駐車場に車を停めると、色鮮やかな浴衣の女のコが二人、パタパタッと走り寄ってきた。
驚いていると、その内の髪を染めた女のコがサイドのウインドの前で羽ばたくように大きく手を振り
「きゃ~!」
と笑ってから、ふっと手を止めた。
「あ~間違えた! 迎えじゃなかった。この人パパじゃない。すいません。きゃはははっ」
と笑ってアッという間に走り去って行った。
通りに溢れた南国の鳥の群れのような浴衣姿の群集の中に混じってもうすぐに見えなくなった。
カーステレオでは『マラッカ』の最後の曲である「極楽鳥」が流れていた。
T-REXのマーク・ボランの死を悼んでPANTAさんが作った鎮魂歌である。
極楽鳥、極楽鳥。
その最後の歌を「叫び続ける少女の前で」と、PANTAさんが歌う。
PANTAさんが歌い切った後、長い長い後奏がある。けれど、やはり、その曲は、やがて終わる。どんな曲もやがて終わる。
雨宮処凛
7月7日、七夕の日、尊敬する人が亡くなった。
それはPANTAさん。言わずと知れた「頭脳警察」のボーカルだ。享年73。
そんなPANTAさんと、私はこの20年ほど親しくさせて頂いた。
きっかけは、イラク戦争。2003年3月に開戦したイラク戦争の1ヶ月ほど前に「イラクで反戦を訴える」と数十人でバグダッド入りしたことはこの連載でも何度か触れてきたが、そこで一緒だったのだ。この「イラク訪問団」、PANTAさんがいるだけでもすごいのに、新右翼・一水会を創設した鈴木邦男氏や元赤軍派議長の塩見孝也氏、「キツネ目の男」関係者、ロフトプラスワン御一行などの魑魅魍魎からなる百鬼夜行。
イラク行きを前にした説明会的な場で会ったのが初対面だったのだが、私にとって「頭脳警察」は伝説のバンド。そしてPANTAさんは伝説のカリスマ。その日も「PANTAが来るよ」といろんな人が噂しており、「怖い人なのでは」とビビっていたのだが、初めて会ったPANTAさんは拍子抜けするほど優しくて、全身の毛穴から「包容力」が溢れ出ているような人で、バグダッド滞在の10日ほどで私はすっかりなついてしまったのだった。
印象に残っているのは、PANTAさんがイラクに持ってきていた「水をろ過する器具」。イラクはインフラが破壊され、水道水も汚染されているということで、PANTAさんは「どんなに汚い水でもろ過して飲めるようにする器具」みたいな便利グッズを持ってきていたのだ。「伝説のロッカーなのに準備のいい人だなぁ」と思ったことを覚えている。
それからだ、PANTAさんとよく会うようになったのは。
いろんな話をしたけれど(ほとんどがバカ話)、私とPANTAさんの共通の趣味に「塩見孝也」があった。
先に書いたように元赤軍派議長なのだが、約20年を獄中で過ごしたからか世間知らずなところがあり、17年に亡くなる寸前まで「世界同時革命」を目指していたというド天然の革命家である。
しかも晩年はシルバー人材センターで駐車場管理人となり、初めて「労働者」となったのだが、そこでは同世代の同僚に「議長」と呼ばれ、労働相談などを耳にするうちに「シルバー人材センターユニオン」を作ろうと思い立ち、フリーター労組に入っていた私に相談。そんな相談の場で、「シルバー人材センターユニオンを足がかりに、ゆくゆくは世界同時革命を目指したい」と照れた様子で語った時には、「この人、21世紀にもなってまだそんなこと言ってるなんて、本気と書いてマジな人だ!」と心の底から感銘を受けた。
塩見さんは15年、東京都清瀬市の市議会選挙に出るのだが、「赤軍」「獄中20年」と書かれたのぼりや横断幕を手に「赤軍派もいる明るい清瀬!」「清瀬から世界同時革命!」と清瀬の街を練り歩いた選挙運動は今も白昼夢のような光景として私の記憶に焼き付いている。
と、こんな塩見さんを私もPANTAさんも愛してやまなかったのだが、塩見さんとの付き合いは私の方が長い。よって、PANTAさんは何かにつけ、私から「塩見エピソード」を仕入れたがったのである。例えばみんなで飲んでいて、「この前、塩見さんがさぁ……」などと言おうものならPANTAさんは少年のように目をキラキラさせ、待ちきれないという笑顔で「なになに? なにがあったの?」と身を乗り出してくるのだ。
そうして「少し前、『あなたの精子をください』みたいな迷惑メール(昔はそういうのがあった)を真に受けて、『最近の女性は、そんなに解放されているのか?』と真顔で〇〇さんに聞いていた」などと言うと、全身をよじって笑ってくれる。PANTAさんと言われて思い出すのは、「塩見エピソード」で呼吸困難を起こすほどに笑い転げている姿だ。
思えば、硬派なパブリックイメージとは違い、いつも心から楽しそうに笑っている人だった。
PANTAさんの、「ロッカーとしての凄み」を見たのはイラクからの帰国後。PANTAさんがイラク戦争のある「戦い」に衝撃を受けて作った曲を生で聴いた時だ。
曲のタイトルは、「七月のムスターファ」。
ムスターファとは、サダム・フセインの孫である14歳の少年。
私たちがイラクから帰国してすぐにイラク戦争が始まったことは先に書いたが、その2ヶ月後の5月、当時のブッシュ米大統領により「大規模戦闘終結宣言」が出される。が、現地では混乱が続き、サダム・フセイン大統領やその家族の行方もわからなくなっていた。
そんな中、ムスターファは父親であるクサイ(サダムの次男)と叔父であるウダイ(サダムの長男)とともに逃亡していたようである。
しかし、7月のある日、彼らは米軍に見つかり、包囲されてしまう。相手は数百人の米軍。対してムスターファと一緒にいたのは父と叔父、ボディガードだけ。
銃撃戦の中、最後まで生き残った14歳のムスターファはたった一人になっても銃を撃ち続けたという。一時間もだ。しかし、少年は米軍によって殺された。
そのことを歌にしたのが「七月のムスターファ」(ユーチューブなどで聴ける)。
この銃撃戦でサダムの長男、次男が亡くなったことは世界中に大ニュースとして報じられた。
一緒にいたクサイの息子が死亡したことも伝えられた。しかし、それはわずか一行のニュースで、少年の「抵抗」を、世界が知ることはなかった。
そして私も、PANTAさんの曲を聴くまで、そんなことがあったなんて知らなかった。
大統領家の孫に生まれたことで、14歳で命を奪われた少年。世界中でPANTAさん以外、誰も注目しなかった彼の戦い。
ウダイ、クサイの死のニュースとともに、世界中に彼らの死体写真がバラまかれ、まるで見せしめのようにネット上に晒された。
損傷の激しい遺体の写真を目にして、私は大きなショックを受けた。なぜなら1999年、1度目のイラク行きで大統領宮殿に招待され、ウダイ・フセイン氏と会ったことがあるからだ。
入り口には金属探知機が設けられ、ティッシュくらいしか持ち込めなかった大統領宮殿の豪華絢爛な部屋で会見したウダイ氏は、静かに話す人だった。日本の政治情勢にも詳しく、当時都知事になったばかりの石原慎太郎氏の就任を「日本にも反米の政治家が登場したことはいいことだ」と語っていたことを覚えている。
そうして一人ひとりと写真を撮り、その写真はおそらくイラク大使館経由で数ヶ月かけて送られてきた。私の家には今も、ウダイ・フセインと握手する写真が保存されている。
そんなウダイ氏の変わり果てた姿に、私はただただパソコンの前で凍りついていた。
あれから、もう20年。
しかし、イラクの混乱は今も続いている。
PANTAさんの訃報が届いた日、久々に「七月のムスターファ」を聞いた。イラクの炎天下の、熱い熱い照り返しが蘇るような曲だった。
それにしても、今年は大切な人が死にすぎる。
1月に鈴木邦男さん、2月に「だめ連」のぺぺ長谷川さん、そしてPANTAさんと、私がなついていた人ばかりが次々とこの世を去っていく。
そのことが、たまらなく寂しい。