カバーガール ずーみん、ずみこ 今泉佑唯(欅坂46、ゆいちゃんず)
どーやら最後にソロ写真集の発売が決定した模様!!!
ところで決戦は金曜日!本日のミュージックステーションで世界の中心で小山卓治を叫ぶはずだった??吉岡里帆ちゃんはMステに出ない模様←当たり前じゃボケ!応援ゲストはゆずの?クレヨンしんちゃんらしい……せっかく欅ちゃんとあいみょんが出るのになぁあぁあぁあ でもまぁあいみょんの『マリーゴールド』とっても良い曲だし、Perfumeも出るしお楽しみに!!!そして待望の新曲『アンビバレント』の欅ちゃん達、センター復活のてちはもちろん、私はとびきりの笑顔封印、最後の参加シングルとなるこの楽曲の宣材写真で欅カラーに対応しまくる凛々しい
ずーみんの姿をテレビ画面で追いかけます
【小山卓治を隠さん!!セレクション\(^_^)/】
2018年8月14日火曜日
with 山口岩男 with 鈴ノ木ユウ
先日ファンの方から、1990/4/8 名古屋 Heart Landでの〈NAGOYA ACOUSTIC NITE〉の映像をいただいた。この夜のライヴがテレビでオンエアされていたのは忘れていた。井口一彦君や山口岩男君などの若い姿が、なんとも初々しいというか、痛々しいというか。もちろん俺もね。
俺は弦を切りながら〈YELLOW WASP〉を歌っている。歌った後、客席も楽屋も静まりかえった記憶が、ぼんやりとある。
8/25 横須賀 Younger Than Yesterdayでのセッションに向けて岩男君から届いたのは、とても美しいバラードだ。どんなアンサンブルになるか、楽しみだ。もちろん俺からも資料を送っている。
8/18 harnessでの〈小山卓治 × 鈴ノ木ユウ〉に向けて届いた歌は、鈴ノ木ユウらしい、胸が切なくなる歌。
ひさしぶりにたっぷり鈴ノ木ユウの歌を堪能し、それから2人のセッションを楽しもうと思う。
小山卓治
本日の回文
彼……あの日の……あれか……
チーン
そーなんですよ!当時このTVを録画して『黄色いWASP』を再生しまくり、大興奮!大感動で聴きまくり、見まくったものです(^o^)あと神戸の老舗ライブハウスのチキンジョージでの小山卓治、メジャー契約nothingで充実しまくりのニート時代(^o^)の弾き語りライブでPV?MV?の『黄色いWASP』を浴びた、………2回のみなんですよね、私の『黄色いWASP』体験は(^o^)生演奏を知らない(^_^;)
で、『黄色いWASP』といやー田家秀樹さんのブログをちょいと失敬(パクり)!!
平成最後の8・15.
そうか、平成最後か、というのをあらためて感じてます。陛下の武道館の戦没者追悼式での姿を見ていてそう思いました。来年、このお二人はもうこういうところにお姿を見せることはないんだな、というのがなぜかジーンとしてしまいました。
何ででしょうね。特別な皇室マニアでもありませんし。天皇陛下万歳というタイプでもありません。むしろ若い頃は天皇制そのものに対して疑問を持っていたりしました。でも、今の陛下になってから、そういう感覚はなくなりましたね。
特に震災以降でしょうね。被災地を地道に回るお姿に地位を超えた人としての誠意みたいなものを強く感じるようになったんです。この人は本心でそうやって人と寄り添いたいんだろうなと思えるようになってました。
大げさに言うと「この命尽きるまで」みたいな使命感。政治家の票目当てのスタンドプレイとは違う姿勢というんでしょうか。それが自分お役割と自覚されているように思える。特に戦争体験について感じるんです。
昭和天皇は開戦の当時者ですし、終戦を決めた方でもありますから、僕らの中でも複雑な感情もあったりしました。そういう前陛下とは違う素朴さのようなもの。焼け跡で住む場所も食べるものもない時代を知っている一人の個人としての願い、みたいなものでしょうか。
”戦後”という言い方がいつまで使えるのだろうと思うようになったのはいつ頃からでしょうね。他の国を攻めない、人間に向けて銃を撃たない。ひょっとしてそういう国じゃなくなるのかもしれない、という危機感は強いです。
前半は戦争に明け暮れていた昭和、戦争とは無縁に終わろうとしている平成。次の時代はどうなるんでしょうか。僕らは戦後生まれなわけで、直接の戦争体験はありませんけど、記憶はあります。戦争で命を落とした両親、親戚というのもいます。
でも、そういう話が全く通じない世代が主流になる日がもうすぐそこに来てます。平成から次の時代。どんな総理大臣で迎えることになるんでしょうか。というわけで、曲ですね。ふっと浮かんだのがなぜか小山卓司さん「YELLOW WASP」でした。
8月15日を直接歌ったものじゃないです。自分でも浜田さんの曲が出てくるかなと思ったんですけど、意外でした、って妙な言い方ですけど。中国残留孤児が起こした実際の事件がモチーフになった曲です。
今朝の新聞で残留孤児のことを読んだからかも知れません。浮かんでしまったんだからしょうがないっす(笑)。韓国や中国では解放記念日だということも忘れてはいけないでしょうし。毎日新聞は台湾の日本兵の話を書いてました。
話が思わぬほうに逸れてますね。二年前、台湾に行った時にお会いした、リーダーで国会議員になったロックバンド、ソニックの「高砂ARMY」というアルバムの中に8月15日の玉音放送が使われてました。
高砂族という先住民がいるんですね。戦時中は日本軍で戦い、戦後は国民党に裏切られるという青年の物語が歌われたアルバム。リーダーの国会議員にインタビュー出来る機会があったんで、なぜあの放送を使っているんだ、と訊いたんです。
彼は、子供の頃、おばあちゃんがよく話をしてくれた、政治的な意図はありません、と言ってました。戦争体験は台湾の方が伝えられてるんだと、驚ろかされました。という話を書くつもりじゃなかったですけど、8月15日ですからね。
明日は福耳のインタビュー、アレキサンドロスの千葉マリンスタジアムです。あ、ZOZOタウンだ(笑)。じゃ、おやすみなさい。
田家秀樹
本日の回文
知れ!浮かんだんか?嬉し\(^_^)/
チーン
何故、田家さんは、ハマショーより小山さんの『YELLOW WASP』を突然思い出したのでしょーか??小山さんをずーっと長いことほっておいた事への贖い?(^o^)おそらくはこの歌の
♪♪♪俺達一握りの自由に
命賭けて戦ったのに
この国じゃでっかい自由を
クソまみれにしているんだ
こいつは俺達の
俺達の戦争だ
俺達の戦争だ
黄色いワスプの住んでるこの国じゃ!!!!!
と、歌われるとゆーよりは叫ばれる、国家対国家ではなく個人対国家の戦争……この歌のもつ鈍器で頭をぶん殴るかのような強烈なリアリィティが浜田省吾様のもつ高性能マシンガン機関銃をぶっぱなす歌のリアリィティをたまたま今回圧倒したからではなかろーか??
と、時に小山卓治抵抗勢力、時に小山卓治過大評価クレイジーの私は思うのであった(^o^)まぁこの歌はそれこそ
“新聞紙 by 小山卓治”
………だからさすがの天下のハマショーもお手上げなのかも(^o^)
とにかく浮かんだんだからしょーがない(^o^)それだけ強烈な印象の素晴らしい歌なんですよね!!!ありがとー!!田家さん\(^_^)/小山さんも浮かばれました(^o^)そして『YELLOW WASP』知らない方はぜひ小山卓治オールタイムベストを買って聴いてみてね!今をときめく新進気鋭、話題騒然のシンガーソングライターあいみょんも聴いてるかもしれない(^o^)まぁ聴いてないかもしれないけど(^o^)ちなみにあれだけ言ってるのに私はまだ持ってない←超絶サイテー!!だってスゲー欲しいんだけど貧乏なんだもん!プライオリティがぁあぁあぁあぁあぁあぁあ(T_T)
結論
小山卓治は鈍器っ子である(^o^)
※決して長濱ねる、「ねるねちけいON LINE!」や朝ドラ「半分、青い。」の影響からではありません???
BGM
小山卓治
『YELLOW WASP』
欅坂46
『僕たちの戦争』
これは立派なオザ件ですね(^o^)
本日の回文
いかん!サヨナラならな……よさんかい!!!
チーン
ちょいと前に朝のワイドショーかなんかで小田和正さんが引退について聞かれ相変わらず「さよならは言わない」と答えられてましたが、いつも感動します さよならを口にした拓郎と決して口にしない小田さん ………どこまでも対照的なお二人 どちらも無茶苦茶素敵なのです そこで自らの楽曲『さよならは言わない』に言及した小田さんにまたまた感動!いつの頃からか小田さんがお打算になられてから感動する楽曲が極々僅かになってしまった私ですが、この歌は心底感動したからです 前回まで毎回のように通ってたツアーも今回は行けそうもありませんが(T_T)70歳の小田さんに無性に会いたくなりました 小田さ~~~~ん!!!!!
BGM
小沢健二
『さよならなんて云えないよ』
小田和正
『さよならは言わない』
【おざ件、もしくはオザハラ\(^_^)/時に小山田もお邪魔だ!】

《あいみょんインタビューより ※この内容を除いたインタビュー全文をブログの最後にパクったので読みたい人は読みませう》
学校よりも心の支えになったのは「音楽」だった。
音楽関係の仕事をしていた父の影響で、幼い日から音を浴びて育った。「ツタヤやと思っていた」ほど、CDが溢れる父の部屋に忍び込んでは自室に持ち込んで聴きいった。
浜田省吾、尾崎豊、吉田拓郎......当時流行っていた音楽も好きだったが、特に90年代の音楽に恋い焦がれた。どこに発表するわけでもなく、ギターを弾きながら音楽を作り始めた。
かといって、尾崎豊のように激しく反抗する気はおきない。逃げたいわけでもなかった。雑誌のバックナンバーが欲しい、ライブチケットが欲しい、ギターケースが欲しい。そのために、バイトをはじめた。これは「意味のある」ことだと思えたのだ。
16歳のとき、ある音楽に出会う。小沢健二だ。バイト先の先輩から手渡されたアルバム『LIFE』は、家で見たことがないCDだった。
「お父さんの部屋で見つけた曲しか聴いてこなかったから、オザケンは初めて『外』から入ってくる音楽やった」
ふてくされてばかりの10代をすぎ分別もついて齢(とし)をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく
『愛し愛されて生きるのさ』に衝撃を受けた。「私の心のドアをノックした」のだ。
言葉もメロディも全部好きだった。好きすぎてオザケンになりたいって時期すらあった。円盤が擦り減るくらい再生ボタンを押し続けた。

「王子様だと思っている」オザケンのインタビューは、雑誌のバックナンバーを買い漁って読みふけった。(@aimyonGtter / Twitter)
しばらくしてから、いつものように父の部屋でCDを漁っていたときのこと。『LIFE』が出てきたことに驚いた。
「やっぱり、お父さんと好きな音楽は一緒なんやって思った瞬間。『LIFE』が家に2枚あるという状況が嬉しかった」
本日の総括回文
仕業!親子二代だ!!二個や(ニコ(^o^)や)!!!小沢氏\(^_^)/
チーン
前回のミスチル桜井さんに引き続きあいみょんに超絶親近感です(^o^)
BGM
小沢健二
『愛し愛されて生きるのさ』
井上陽水
『人生(LIFE)が2度あれば』
【おらがアイドル\(^_^)/】
こじまこ(小嶋真子)
【あいみょん 23歳 「一人」の期間が教えてくれたこと】
教室にほとんど来なかった同級生」への誤解
このまま朝が来なけりゃいいのに
うずくまってる真っ暗な布団の中で
またあいつとあいつをぶん殴ってやった
それでも変わらない生活に
一生のお願いとか使えたなら
この先を僕じゃない誰かに変えて
誰しも一度は、こんな夜を過ごしたことがあるんじゃないだろうか?
10代から熱烈な支持を受ける23歳のシンガーソングライター、あいみょん。Tik Tokで使われ、弾き語り動画が数多くアップされる彼女の音楽には、いつもこんな言葉が寄せられる。
「自分のことを歌われた気がした」「胸をえぐられる」「泣いた」
Photo by 黒羽政士
あいみょんの歌詞は、いつも剥き出しの内面が表れる。
冒頭の楽曲『風のささやき』は、19歳で単身上京した際に作った。
歌詞には「あいつをぶん殴ってやった」「頑張れなんて言うなよ クソが」と、叫びのような言葉が並ぶ。頭に浮かべることはあるけれど、そんな感情は他人に知られたくないはずだ。人の目を気にせず、さらけだせるのはなぜなのか? 大きなきっかけは、高校時代にあった。
「学校が嫌いで、一回高校やめているので。はい。あはは」
(取材:BuzzFeed Japan 嘉島唯)
いじめられてるわけじゃない。反抗したかったわけでもない。でも、教室にいたくなかった。
学校に行っても保健室にばかりいる。「出席日数が足りません」と家に電話がかかってくる。クラスメイトは首をかしげる。だって、別にいじめがあるわけじゃないのに。
なんとなく、教室にいない子。それが、あいみょんだった。
Photo by 黒羽政士
「√って何に使うんだろう」。そんなことばかりが頭をよぎり、授業にはあまり集中できなかった。勉強が大事なのはわかる。でも、なんだかベルトコンベアにのせられているような気がした。
小学生の時は、明るかったらしい。けれども思春期になると人間関係の歪みが見え始める。教室の空気を読んで、調和を乱さないように人と人の間に入った。
「ショッピングモール行ってプリクラ撮って、変にお金を消費して。それなりに楽しかったんですけれど」
昨日まで仲良く笑い合っていた友情関係は、ちょっとした出来事や誤解ですぐに壊れた。
「友だちってどこまでが友だちなん?」
答えのない疑問を持ち続けた。手を差し伸べられても一歩引いてしまう。
@aimyon36 / Instagram
自分が正直になれるのは、音楽に向き合っているときだけだった。学校そっちのけで、好きなアーティストのライブに通う毎日を送る。
当然のように、単位が足りなくなった。学校からの電話を受けた父から言われる。「もう明日から学校いけないよ。留年かやめるか、どうする?」。あまりに突然だった。
Photo by 黒羽政士
「父と母には甘えたところ。高校卒業資格は人生を左右すると思ってしまって、別の学校に編入させてもらいました」。ずっと笑っていた彼女が、はじめて苦い表情をした。
新しい学校では、完全に独りになった。「学校が変わると連絡ってとらなくなるんやな」。2年在籍した学校の同級生とは、ぷつりと関係が途絶えた。
買い物に行くのも、授業中も独り。新しい環境で再び友だちをつくる気も起きなかった。
独りになった途端、自由になった。「私は音楽をやるんだし」と腹をくくったが、一瞬だけ、大学受験をしようかと気持ちが揺らいだこともある。
でも、「大学に行くって言っても、自己保身のしょーもない理由しかない。だったら歌に進んだ方がいい」と決めた。
岡本太郎の言葉にも大きな影響を受けた。知ったきっかけは、2001年公開の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。好きな言葉は「今日の芸術は美しくあってはならない」 (@aimyon36 /Instagram)
「ダサい話ですけれど、独りになって気づくことってある。いつでも周りに人がいると思っていたらあかん。でも、独りだと感じても、世界に一人だけ取り残されているわけじゃない」
見事に外れた「泣いて実家に戻るだろう」
高校を卒業してしばらくは、歌を作りながらバイトにあけくれていた。
「せめて資格でもとろうか」とも考えたが、すぐに転機が訪れた。映像制作をしている友人が配信するYouTubeの音楽番組で演奏を披露すると、すぐに東京の事務所から声がかかったのだ。
「一握りの世界だとわかっていたんですけれど、自分の限界を決めてしまうのは良くないと思った」
こうしてあいみょんは、生まれ育った西宮を離れて東京に行くことになった。
夜行バスで訪れた新宿は嫌いだった。駅は迷路のように広くて人も多い。すれ違う人が悪い人に見えた。「すぐに泣いて西宮に帰るだろう」と自分で自分を疑っていたが、そうはならなかった。
「新幹線で3時間くらい。帰ろうと思えば帰れる。東京大好き。関西弁は譲れないですけど(笑)」
@aimyon36 / Instagram
西宮で家族と暮らし続けてもよかった。でも、いつまでも甘えていられない。17歳で知った孤独は、上京の寂しさをいなす力を十分に持っていた。
いまでは、孤独を感じることは、ほとんどなくなった。「孤独とうまく付き合えるようになった」と言う方が正しいかもしれない。年齢や性別を問わない友だちもできた。
「指折り数えるくらいしかいないけれど。頻繁に会わなくても、一緒にいたいと思って、その人とご飯を食べて楽しければ、もうそれで十分やのに。難しく考えていただけだった」
何かを作れば、いつか誰かに発掘される
とはいえ、毎日がキラキラしたわけではない。東京でアーティストをしていても、それは案外、地味で泥臭い生活だ。
「本気でやってんだ」と叫んでも、結果が出なければ、大人たちに見捨てられることも知っていた。
だからといって、安易に「頑張って」なんて言ってほしくなかった。手に届きそうで、届かない夢がじれったかった。そんな気持ちも、すべて音楽に注いだ。
自分の楽曲を聴いて「勇気が出た」と言われると、嬉しい。でも、誰かを助けたいと思って曲を作っているわけではない。その時、自分の中から出てきた言葉を綴るだけ。
「死にたいって気持ちを込める曲もあるし、甘いラブソングにしたい曲もあって。暗い気持ちをさらけ出すと、メンヘラと烙印を押されることもあるんですけれど、一面でしかないですからね」
「最近、作家の友人ができて。その人が言っていたんです。小説は希望だって。自分の記憶の中に希望を足せる。音楽も作詞も、自分の現実に少しプラスで希望を足しているんです。これやなって思った」
嘘ではなく、脚色でもない「希望」をのせる。「こうなったらいいのにな」なんてことは、他人にあまり知られたくない感情だ。それすらもさらけ出すからこそ、彼女の歌を「自分の話」だと思う人が多いのだろう。
8月8日にリリースしたばかりの新曲『マリーゴールド』の歌詞には、こんな言葉が綴られる。
『マリーゴールド』(YouTube) 提供:ワーナーミュージック
でんぐり返しの日々
可哀想なふりをして
だらけてみたけど
希望の光は
目の前でずっと輝いている
幸せだ
きっとそれは、世代を超えて誰かに響いていく。オザケンに憧れ、自分を重ねたあいみょんは、よく知っている。
「今、たくさんの人が音楽を作れる。その分、埋もれてしまうことも多い。でも、平成の時代に発掘されなくても、寝かせた分だけ価値が出るものもある」
「自分の限界を作らないで、何かを生み出していくといつか誰かが見つけてくれることもある。私自身、CDでたくさんの音楽を発掘したので。やっぱりCDって良いですね。振り袖みたいに受け継げる(笑)」
生まれる前に流行った音楽に、胸を焦がした10代を過ごした少女は、発掘することで自分を取り戻した。
流行り廃りは関係ない。ただ、誰かの希望が、虚しい心に水を注いでいた。