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浅井健一さん…もちろん演奏パフォーマンスはいつもながらにロケンロー!!!でかっこよかったけど、サイコーだったけど、似合わぬ食レポしたり(^O^)、また幼少期に住んでたアパート、通った理髪店、初めて出たライブハウス…幼なじみ近所の人との交流とか…思い出の地巡りに素顔が滲み出てて大感激 いーなーこーゆーのも(^O^)/
ホント、いい人!ベンジー最高(^O^)/
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「over65ユニット録音、今日は佐橋くんのギター、エレキと生。ロック・イディオム満載!楽しく終わり、重い歌の録音も終了。明日も引き続き。k1」
鈴木慶一
松たか子さんの旦那も登場(^O^)/
「今日はハモらないRec後の後の〆に谷川俊太郎展へ行きまして。で、受付でお姉さんに「学生ですか?」と訊かれた私は妙に動揺して思わず「ふ、ふつうです!」と。普通…の思いは通じたけど!ま、おかげでチケットスマイル乗せ受け取りました。ありがとうお姉さん。 (´-`).。oO(キッヒッヒ」
「そうやってツィートした後、一応のマニュアルのようなものに乗っ取った、一連の対応だったのかもしれないとかなんだとかんだと思って急に胸をざわつかせている。。 人生はジェットコースター。。」
tamurapan たむらぱん
【CD備忘録】
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山田稔明『新しい青の時代』
「山田稔明さんの『新しい青の時代』と『the loved one』、憧れるほど素晴らしい!もし僕がSSWだったら、こんな「生活の音楽」を作りたいな。歌詞もとんでもなくいいんだよ。これは参った。」
b-flower 八野英史
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高橋研×加藤いづみ
【小山卓治を隠さん(^O^)/】
2018年2月20日火曜日
《NG!》リマスタリングに向けて
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エンジニアの穴井君が、「《NG!》のリマスタリングに向けて参考になります」と、〈HIGH-HOPES〉というサイト(ブルース・スプリングスティーンが2014年にリリースしたアルバム・タイトルと同じ)を教えてくれた。
ブルース・スプリングスティーンの1973年から1984年までのアルバム7枚をリマスタリングしたエンジニア、ボブ・ラドウィックの貴重なインタビューが掲載されている。
Part 1
Part 2
Part 3
※すいません、興味があるかたはご自分で小山さんのサイトからお願いします←こらこら
ここに書いてあるように、「霧が晴れた」というのが、まさにリマスタリングという作業の一番分かりやすい表現かもしれない。
リマスタリングされた音と以前の音は、明らかに、あからさまに、まるっきり、とんでもなく違う。
俺が80年代のアルバムのリマスタリング盤をリリースして10年。リマスタリングの技術は日進月歩で進化している。きっと今できる最高の音に仕上げることができるだろう。すごく楽しみだ。
ところで。
上記のサイトの執筆者のプロフィールを読むと「洋楽ディレクターとして約20年フロントラインでいろんなアーティストを担当し──」とある。1/30にここに書いた不思議な縁もあるし、でも、いやまさかね、と思いながら、またソニー・レコードの内藤ディレクターに聞いてみたところ、ソニー・ミュージックの洋楽レーベル制作トップの方だった。いやはや、こんなことってあるんだな。
他のコラムも、すごく読み応えがある。
小山卓治
本日の回文
浸れ!晴れた霧!!来たれ!晴れた日(^O^)/
チーン
良い音とお言い(^O^)/
チーン
発売…楽しみですね(^O^)/
BGM
山下達郎
『いつか晴れた日に』
中島みゆき
『霧に走る』
【オザ件、もしくはオザハラ(^O^)/】
小沢健二「僕は『LIFE』を出すことで片目を失うようなことになったのかもしれない」#ozkn「戦場のガールズ・ライフ」寄稿「『みなさん』の話は禁句」より
アルペジオの♪この頃は目が見えないから
…は、これのことなのかもね
「小沢健二 - アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)#nowplaying春が来たみたいで、何回聴いても胸がギュッとなる。。。」
りちゃこ(バニラビーンズ)
「『リバーズ・エッジ』観てきた。原作を丁寧に拾い上げた良い映画でした。エンディングのオザケンがとてもよかった。物語の湿度としては、原作のが個人的には好き。多分それは漫画の持つ紙と黒い線の力。」
uejima tomoko
「漫画を読んだ当時の読後感は、見通しのなさとか息苦しさみたいなものだったと思うけれど、映画を観るとそれは和らいだな。「アルペジオ」がエンディングで流れることは、いろんなものをすくっているのだな。あのテンポ、前へ進める様な感覚、行進曲の様にも感じた。心強い曲。」
穂の佳
「リバーズエッジ、まあおそらくだけどスタンダードで撮ってる事から見ても行定監督もそのムードに同調したって事だろう。まあどっちを良しとするかだけどさ。オレは映画は監督のものだと思うので、映画的快楽が全くないこの100分は非常に辛かった。」
taku
「リバーズ・エッジ観てきた。エグいと聞いて心して観に行った。だけどエグさは感じず、むしろ極端に振り切ってるけど懐かしさすら感じた自分がどうなんだろう。と思ってしまった。劇中のインタビューも平坦な戦場の詩もエンディングに流れるオザケンの曲も凄く良い。みんな痛いけどキレイだったな。」
みや
「『リバーズ・エッジ』を観てきた。変に脚色されてないのが良かった。わたしは原作がとても好きだけど、映画を観ながらどうしてこんな悲惨な物語が好きなんだろうと不思議になった。でも、何かやっぱり好きだな。諦念と、憂鬱な街と、煙草の吐く息と、祈り。最後、小沢くんの曲がスッと心を救ってくれる」
めもり
「小沢健二シークレットライブ:i-or-i.hatenablog.com/entry/2015/05/…以前、小沢健二が岡崎京子のためにやったライブに関して書いた雑文なんですけど、「消費」の話や「本当のこと」についても触れているので、よければぜひ新譜「アルペジオ」を聴きながら読んでください――。」
いおり
※例によってブログの最後にパクったので読みたい人は読みませう!!長いよ~~(^O^)しかしながらセトリがとてつもないことになってます(^O^)さすがは岡崎京子LOVE(^O^)/ラストに歌われたまだ私は聴いたことない超名曲らしい『東京の街が奏でる』…スゲー聴いてみたい
「行定勲(監督)『リバーズ・エッジ』。(要所中の要所は押さえつつも)原作の膨大なテクスト、モノローグを大胆にカット、原作にないパートで一部代替するという大技に驚くも、それが成功していたかといえば、うーん…。他のメディアに「あの感じ」を置換することが困難な漫画なんだなとつくづく。」
傘下逆
「久しぶりの完全オフ日だったので、渋谷で映画「リバーズ・エッジ」。90年代に高校生だった者にとって、岡崎京子、小沢健二、行定勲とくれば、観ないわけにはいかない。原作通りでよかった。世紀末感満載で、エロくてグロい。なのに美しい。 『リバーズ・エッジ』公式サイト |movie-riversedge.jp」
小西智
「映画、リバーズ・エッジ。この映画を月曜日のレイトショーで観るというのはあまりにも相性が良すぎた。映画館を出て夜の閑散とした街中を抜けて行くのは、まだ映画の世界の中にいるように思えてくる感覚だった。 この映画、平日のレイトショーで観るのがおすすめです。。」
山室健人
【おらがアイドル】
≪星野みなみ劇場≫
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【≪欅坂46≫6thシングル「ガラスを割れ!」、最初からNTTドコモCMタイアップ曲として書き下ろされた説】
笑
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本日の回文
湧いた!!い、犬!!…言いたいわ(^O^)/
チーン
やたら歌詞に犬が出て来るらしいから?ソフトバンクを意識しての(^O^)??
…かも?ドコモも子供か(^O^)
チーン
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まぁ『ガラスを割れ!』とゆー歌の性格からしてこーゆーケース、ロックの文脈じゃ犬や狼が相場だからね(^O^)有り得ない話じゃないが(^O^)いや、やすすのことだから大いにありえるけど(^O^)
いずれにしろ欅ちゃん大型タイアップもついたことだし
犬問う…犬闘…いや、健闘してもらい、器物損壊、ガラスを割りまくり尾崎豊、椎名林檎越えをしていただきたいものです(^O^)/
So勝つ回文
DOGでGOOD!!(^O^)/
チーン
犬!!と吠えるが欅ちゃんとゆーキャラバンは進む………と(^O^)
BGMの一枚
小沢健二
『犬は吠えるがキャラバンは進む』
【人様のブログ、パクりました】
小沢健二シークレットライブ
雑文
2015年3月29日、岡崎京子展のあとに開催された小沢健二シークレットライブに関するレポート。
話を付けてくれた編集者の友人に、そのお返しとして書かされたもの。
ライブには、雑音が似合うライブというものがあって、ひとびとの静かなざわめきがなにやら幸福なあたたかみのようなものを作るものもあれば、若者がハシャいだりおたくの怒号が響いたりが盛り上げるロックバンドやアイドルのライブもあり、この日の小沢健二のライブは、誰かの連れてきた小さな子供が走り回りながら叫ぶ細く甲高い声が、静かな音楽の合間に割り込んでくるようなライブだった。もともとクローズドなライブだったはずが、会場もオープンな場所に変更され、開始の直前に一般客にもアナウンスが行われたライブは、アコースティックで歌う貴重な小沢健二の姿に、場が過剰なまでに静謐とさえ言ってよいような空気に満たされていたものだったのだが、それと同時に独特の開けた空気も持っていた。
独特な、という言葉で片付けるのはよくないだろう。そこにはライブの一回性、その場にたまたま集まったとひとたちのとりあえずの偶然なまとまりといったものを大事にするようなあり方が表れているようなきがする――のだが、その理解には多少の説明も要するかもしれない。それは岡崎京子とフリッパーズギターの時代、そして小沢健二がそれから独自のかたちで距離を取ろうとして、取れたのか、取れていないのか、結果的にはよくわからないのだが、とにかくある挑戦を行ってきたことと関わる。
登場から、「天気読み」「天使たちのシーン」と2曲続けて歌った小沢健二は、その日1回目のMCで、「親」と題した文章を読み上げ、<消費と親>について語る。若者が趣味の行動において親を持たないようにふるまう時代と、センスの良し悪しがそれによって測られたりもする消費の時代が重なっている、という指摘に始まり、親は消費の真逆を行く、親は絶望的に軽く選んで消費することができない、というふうに話は展開してゆき、そして最後に、小沢健二が日本に帰ってきて岡崎京子に会いに行くと、その周りには看病する岡崎京子の親がいる、というふうに続いてゆく。友達の家に遊びに行って、その親に会うと、友達がすこし違って見えるのと同じように、そうして岡崎の漫画を読み直すと、すこし違って見えてくる、という
かたちで、話が締めくくられる。
ここで行われているのは、岡崎京子を積極的に誤読しよう、という、あるいは、あるすでに流通していて(そしてあるいは消費されもする)岡崎京子像と違ったまた別の岡崎京子像を提出しようという試みであろう。たとえばまさに今回の岡崎京子展を例にとってもよく、これはそれ自体すばらしいものであったわけだが、そのアプローチは明確に当時の時代性と岡崎京子という作家像を同時にあらわにしようというものであったように思われる。入場してすぐに壁一面に張り出された年表、雑誌の対談やエッセイに近いような漫画を中心とした展示からは、時代の空気が伝わってくるし、そしてその空気を誰よりもよく描き出してしまった漫画家という岡崎京子の姿が伝わってくる。わたしにとってもそうなのだが、岡崎京子は、好き
だ、とか、偏愛する、とか、そういった漫画家ではぜんぜんないようにおもう。偉い漫画家、正しい漫画家、優れた漫画家、天才漫画家、といったラベリングは似合うが、個人的に愛を注ぐ漫画家というふうにはあまりならないのだし、それは、岡崎京子がある時代の巫女のように、その中心を描き出してしまったからではないか。そしてその時代とは、消費の時代だった。
岡崎京子は展示されている記事のひとつで、80年代前半と後半の違いについて語っていた。岡崎によれば、80年代半ばにある切断線といってもよいようなものが引かれ、それ以前の前半ではゆるやかで自由な消費のゲームがあり、その楽しい空気が『東京ガールズブラボー』などの作品で描かれているという。そして80年代後半になると、その消費と選択のゲームがある飽和状態を迎えてしまう。その先に、『リバーズ・エッジ』の「平坦な戦場」があり、『ヘルタースケルター』の「りりこ」があらわれる。もはや何を選んでも、そこには違いなどなく、逃げ出す外部のないような一元化されたマスが平坦に広がる。
同じく展示されていた、岡崎京子と小沢健二との対談を見てもよい。そこで岡崎京子はソロ歌手になった小沢健二の歌詞を見て、自分の先に進んでしまったなあ、といった感慨を漏らす。そこで問題となるのは、フリッパーズギターが岡崎とまた同様にその消費の時代を生き、「引用と編集」を行ってきた、そしてわたしもまだ「引用と編集」の時代にいるのに、小沢健二の歌詞からはもうそれが感じられない、といったことであった。
「消費(選択)の飽和」、そして「引用と編集」から、小沢健二がまたひとつ引いた明確な切断線として、例えばここで小沢健二の最初期の曲、「ローラースケート・パーク」の歌詞、「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて そんなバカなあやまちはしないのさ」といったものを引いてみてもいい。飽和して一元化した平坦な消費の世界では、もう人々は「自分」などといった幻想を夢見ようもない小さな「りりこ(『ヘルタースケルター』)」のようなものになるほかない。フリッパーズギター「恋とマシンガン」の歌詞、「本当のこと隠したくて 嘘をついた でまかせ並べた やけくその引用句なんて!」といったように、ひとびとは「本当のこと」を隠し、「引用と編集」によってのみ語れなくなってい
るわけだが、「Dolphin Song」の歌詞、「ほんとのことが知りたくて 嘘っぱちの中旅に出る」「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」などを見てみれば、そもそも「ほんとのこと」などそんなものはない、あるいはその探求は夏休みのような80年代前半のお祭り騒ぎにのみ許されたものだというようなある時代性が見えてくる。選択肢の飽和した社会の中で、消費社会にふさわしくやけくそな引用を繰り返すほかない時代に、小沢健二は「そんなバカなあやまちはしないのさ」と訣別を告げて見せる。「ラブリー」で「世界に向かってハローなんつって手を振る」「いつか僕ら外へ飛び出すよ」と語った小沢健二は、「Life is comin’ back」と叫んで見せるわけだ。
ところで、「僕ら」が「外に飛び出」せるような「いつか」は、来たのだろうか。come backしつつあった失われたLIFEは、帰ってきたのだろうか。80年代後半に訪れたという消費の時代は終わることなく現在まで続いており、小沢健二はその後反時代性を強めてゆき、はたから見ると半ば宗教めいたと言われることすらある雰囲気すら漂わせるようになった。小沢が取った方法は、ナイーブともいえるほど素朴なものであるように見える。それは消費社会を支える条件を洗い出し、素朴に、それらと離れた暮らしを送る、といったものであった。今回のライブも、録音や撮影を禁じられていたのだが、それはもちろん版権的な問題でもなければ、プライベートを守る、といったことでもなく、つまり消費に抗うこの瞬間を大事にする、といっ
たそんな素朴な理由によるもののように思われる。「熱が散らされてゆく」平坦な戦場の消費社会の中にあっても、ふとある瞬間、ひととひとの間に熱が分かち持たれるような瞬間があり、それを大事に守り育ててゆけば、そんな奇跡のような「神様がそばにいるような時間 続く」というわけだ。小沢健二の初期の曲の歌詞からは、鋭敏に時代を感じてしまった聡明な彼の絶望と、そこから外に出ようとする彼のきわめて明るく、同時に悲痛なそんな神様への祈りに似たような雰囲気があり、やがて彼はハタから見ると吹っ切れるようにして、その先へと進んでいったように思う。
岡崎京子に対して行われた今回のライブ、2つ目のMCは、「“友情”という魔法の力」と題された文章を読み上げるものだった。岡崎京子の漫画には、「遠い友人」というものがよくあらわれる、と小沢は指摘し、彼女の漫画のなかでは近くにいる友人はだいたいしょうもないやつで、あまり話をしない距離のあるひとがじつはこころの距離が近い、というある特徴があると続ける。それは、よく知らないから憧れているだけだ、本当の姿を知らないから夢を見ることができるだけだ、というようなひともいるが、そうである場合もあり、またそうでない場合もあり、いずれにせよどうでもよい、とにかく、そこには「遠い友人」というものがある、と言い、小沢は「友情」というものについて語り始める。「友情」とは、極めて強く社会
を動かしている感情でありながら、なぜかあまり語られず、そのうまい説明などはなかなか目にすることがない、組織論などでたまにもっともらしい説明を目にするが、ちょっとしてみると、ばからしい、と思うものばかりだ、というわけだ。
実際、岡崎京子の漫画に現れる「近い友人」との友情は、じつに消費社会のものらしい、流動性と閉塞感の共存する「平坦な戦場」の一要素でしかないものがほとんどでありながら、ちらちらと「遠い友人」との友情がその一方でよくわからないままにキラキラと光っており、そしてだれだって、たまには互恵性などでは説明のつかないある不思議で、かつありふれた友情を感じる瞬間があるだろう。MCに続き小沢健二は「強い気持ち・強い愛」を演奏し、「いまのこの気持ち 本当だよね?」と歌ってみせる。「本当のこと」などといった大それたものは必要でなく、ただちょっとした「本当の気持ち」があればいいのだ、と、いったような小沢健二の主張は、さほど反時代的なものではないのかもしれない。「強い気持ち・強い愛」に
続いては、前日小沢健二が武道館ライブにサプライズでゲスト登場した東京スカパラダイスオーケストラ(ここにもまた別の友情があるわけだ)から、それぞれOKIとGAMOをゲストに(前日急に話を聞いて誘われたという)、「流星ビバップ」と「ドアをノックするのは誰だ?」が演奏され、熱を持った会場に、岡崎京子展のタイトルにも使われた「戦場のボーイズライフ」が続く。もう岡崎京子も時代を生きるヒリヒリしたガールズではなく、小沢健二もボーイズではないが、ずっと現在までただ続く平坦な戦場の中、ふと訪れた「神様がそばにいるような時間」は、突然観客にシングアロングを求めて失敗し、笑いが起きたりもするような和やかな時間となり、最後に小沢健二がヘラヘラと「オカザキキョウコー!」と叫んで見せて、とりあ
えずの終わりを迎えた。
セットリスト
① 天気読み
② 天使たちのシーン
③ MC1 「親」
④ それはちょっと
⑤ 春にして君を思う
⑥ 神秘的
⑦ MC2 「“友情”という魔法の力」
⑧ 強い気持ち・強い愛
⑨ 流星ビバップ(スカパラOKIゲスト)
⑩ ドアをノックするのは誰だ?(スカパラGAMOゲスト)
⑪ 戦場のボーイズライフ
⑫ 東京の街が奏でる
⑬ ラストMC
いおり(id:i_or_i)2年前
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犬、作為?戦、縫い??チーン~欅ちゃんとNTT
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