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Channel: 損愚図
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顔が……ん?紙幣へ新顔か?チーン ~小沢健二~

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小嶋真子








 ·    指原 莉乃さんがリツイート
指原莉乃プロデュースカラコンTOPARDS.【公式】

@OfficialTOPARDS

12 時間

発売前から話題沸騰✨ 指原莉乃さんAKB48卒業発表後初となるプロデュースカラコン #トパーズ 発売日は5月10日❤️❤️ お楽しみに😍 #指原カラコン #TOPARDS 








指原 莉乃 

@345__chan

12 時間

カップリング曲、いつだってそばにいるのMVが解禁されました!最後のMVです☺️ めるとみくとはなが撮影の最後まで付き添ってくれました☺️(天使ちゃん)その時にみくが撮ってくれた写真!照明が虹みたいに撮れてる🌈 MV撮影は本当に好きな時間でした。思い出たくさん😌youtu.be/MWGvdYb7mY0 pic.twitter.com/N1hbgMd7BB







【オザ件、もしくはオザハラ!時に小山田もお邪魔だ!!】



モリ ◆M0ri/Sh1🍦🌈

@fusaji_low

4 時間

小沢健二 #ozkn #新紙幣に推したい人 





本日の回文

話題!健二?紙幣へ?詩人系だわ(^o^)

チーン



BGM

小沢健二
『それはちょっと』






【本日、うたコンで日向坂46と美川憲一さんが共演してしまう(^o^)果たしてその必然性は??】






本日の回文

湧いた!良い!毒々しいし、くどくど言いたいわ\(^o^)/

チーン


本日、NHKうたコンで日向坂46が美川憲一さんと『さそり座の女』を共演した際の、

♪♪♪さそりの毒はあとできくのよ♪♪

のフレーズを聴いていて、ああ、そーゆーことか!と、合点がいきましたね


日向坂のデビュー曲『キュン』はまさに中毒性高し!キュンキュンダンスやらメロディやら実に良くできている なにがキュンだ!このやろー!!ニャロメー!!!と、思ったそこの貴方!もう少し我慢して御覧なさい、何度か聴いてるとそのうち毒が回りはじめキュンキュンしてきますから(^o^)TWICEの『TT』の♪♪やめて♪♪♪やめて♪♪みたいに(^o^)違うか(^o^)

ああ♪♪キュンキュンキュンキュンどうして

♪♪キュンキュンキュンキュンどうして

BGM

吉田拓郎
『時は蠍のように』

IZ4648
『必然性』










【小山卓治を隠さん\(^o^)/】







2019年4月9日火曜日

町支寛二さんとのライヴのレポート

 以前にもここで紹介したサイト『ストリート・ロックの時代』の著者、堀克巳さんが名古屋まで足を運んでくれて、町支さんをゲストに迎えたTOKUZOでのライヴのレポートを書いてくださった。
 さらに《夢の島 30th Anniversary Edition》と《小山卓治 with DAD 1989》についても書いていただいている。とても深い考察だ。
 ぜひ読んでほしい。



photo : Yukari Watanabe






それでは恒例の丸パクリです、どうぞ!


小山卓治×町支寛二 夢の共演(2019/3/17名古屋)2019/04/05 16:16



 小山卓治と町支寛二の共演という、ストリート・ロック・ファンにとってはまさに垂涎のライブが名古屋で行われた。ストリート・ロックに関わってきたアーティストの様々なコラボレーションを実現してきた”BEAT THE EMOTION”の企画だ。今回、町支はゲスト出演という形ではあったが、彼の魅力も十分に伝わってきた。

 90年代には小山の(須藤晃プロデュースの)3作品に町支が参加し、逆に小山は町支のアルバムの曲の作詞を手掛けるなど、一時両者には深い交流があったのだが、こうして一緒に演奏するのはずいぶんと久しぶりだったようだ。

 「夢の島 30th Anniversary Edition」のリリースに合わせたツアーということで、タイトル曲「夢の島」で小山のステージは始まった。「夢の島」からは「嵐からの隠れ場所」「Gallery」「Shadow Land」「夏の終わりに」が選曲され、そこに直近のアルバム「はるか」からの曲が差し込まれる編成だったが、新旧の楽曲が自然に溶け合っていたように思う。
 それは、一緒に演奏していたバイオリンの磯部舞子の存在も大きいのかもしれない。特に、”ストーリー・テラー”としての小山の音楽を際立たせるにはぴったりだと思う。彼のレパートリーは本来男らしくハードな曲が多いのだが、その奥に流れるセンシティヴな情感だったり、近年の作品に多いヒューマンな感触を表現させるときに、彼女のバイオリンはとても効果的だ。音楽的だけじゃなく、歌詞も理解しながら演奏していることが伝わってくる。

 ゲストの町支が現れると3人で演奏したのが、小山の「種の歌」。町支が”歌詞がぐっとくる”とコメント。そして、彼一人になり、彼のファースト・ソロのタイトル曲「僕を呼ぶ声」を演奏。そして、4thアルバムから「旅する男」、そしてまたファーストから「あふれる愛」(浜省との共通点を強く感じるR&B)を演奏した。

 そして小山が現れ、彼の作詞による「rose(ロゼ)」を演奏。都会的なセクシャルな歌詞をかなりファンキーな演奏で歌う曲だ。歌詞は小山にとってはずいぶん意外なタッチのものだし、曲も町支にはめずらしいタイプなのだが、そんな”異色な楽曲”を二人とも楽しそうに演奏していた。
 
 続いて二人が演奏したのは町支の「悲しきアメダス」。これは、完全に”町支ワールド”とも言えるビーチ・ボーイズ調(浜省で言えばClub Surfbound調)で、小山のレパートリーには全くないタイプだが、これまた二人共に実に楽しそうに演奏していて、お客さんも盛り上がっていた。

 そしてその後、小山と磯部のステージになりラストは「最終電車」で盛り上がって終了、アンコールは、僕は”ストリート・ロックの名曲”だと思っている「PARADISE ALLEY」と「傷だらけの天使」。「傷だらけの天使」には町支も参加した。以前に田中ミツルと歌っているのも見たが、”相棒(バディ)もの"であるこの曲は、男二人で歌うとまた一段といい。
 最後は、小山の「祈り」で終了した。

 このライブでなんとなく確信したことが二つ。
 浜省にはおおらかでポップな面と気難しくて頑固な面のふたつが強く相反するようにあって、そのおおらかでポップな面を傍らでうまく引き出し彩っているのが町支じゃないか、と僕は推測しているのだが、このライブを見ていてこれは間違いない、と思った。シャイで自分を前へ押し出すことは決してないのだが、歌にもギターにも、その場をぱっと明るくなるような独特なムードがあった。

 そして、小山の「夢の島」を最近聴き直して、それまでのストリート・ロック的な世界ではなく、近年のヒューマンな作品につながるようなトーンを感じていたのだが、このライヴで「夢の島」の曲と新しめの曲が並ぶのを聴きながら、それを確信した。

 


 ライブのリハーサルでの写真です






「夢の島 30th Anniversary Edition」小山卓治(2019)2019/03/29 17:48



 ニュース映像で見た、東京湾にある広大なゴミの埋立地。そこを「夢の島」と呼ぶと知って、子供の僕はそれが冗談なのかもわからずとまどったものだが、とにかくその呼称の大きなギャップのせいで強く記憶に刻まれることになった。

 当時、小山は作家日野啓三の小説「夢の島」(1985)を読んでいたという。
 高層マンションを作る会社に勤め都市の高層建築の美を愛する男が、あるきっかけから、夢の島エリアの生と死が混在した生々しい世界の方に引き込まれていくという話である。

「あそこ(夢の島)こそおれのような中途半端な人間の新しい故郷じゃないか」
そんな主人公の意識の変化が、この小説の骨組みになっている。
(ちなみに、この小説の重要なイメージを担っているマネキン、が小山の「夢の島」の歌の中にも登場する)

 それまで小山が描き続けてきたのは、世の中から軽んじられ蔑まれてきた、極端な表現をすれば”社会のクズ”呼ばわりされていた若者だ。(”吹き溜まりのヒーロー””ガラクタども”と「夢の島」で小山は表現している)

 ゴミが集まってくる「夢の島」と”ガラクタども”が集まってくる「東京」。
 はじめは夢のような開発計画のもとにそう名づけられたのに、結局ごみ処分場になってしまった「夢の島」は、華やかな夢を掲げながらも、毎日たくさんの敗残者を生み出している東京そのものを象徴している、そう彼はとらえたのかもしれない。

 
 そして、「夢の島」という曲で、僕は彼のソングライティングの変化に気づいた。
 それまで、小山は一人称で”社会のクズ呼ばわりされる若者””の等身大の目線でリアルなストーリーを紡ぐことが多かったが、この「夢の島」では、俺たち(しかも不特定多数の)という言葉で、もっと俯瞰した視点で曲を書いている。
 
 僕が思ったのは、デビュー以来彼が描き続けてきた、”社会のクズの思いや生き様”、いわばストリート・ロックとシンクロしてきた世界観をこの冒頭の「夢の島」という曲で、決して「捨てた」わけじゃないけれど、彼なりに一度総括させたのではないか、ということだ。そして、そのあと彼は新たなソングライティングの地平を目指し始めた、そんな風に感じた(一貫してストイックなソングライターである彼にとっては、新たな地平を目指す、などという泰然としたものではなく、新しい手法を見つけるための手さぐりのような試行錯誤や葛藤の繰り返し、であったのかもしれないが)。

 実際、このアルバムの冒頭のタイトル曲「夢の島」以降の曲は、ロック度が低くなる。曲調も、歌詞のテーマや視点や切り口、語り口、などバリエーションに富んでいる。それ以前のアルバムにももちろん、バリエーションはあった。しかし、その中心には、社会に軽んじられながらも反骨心を失わない”吹き溜まりのヒーロー”(ストリート・ロック的なヒーローとも言える)がいたように思う。

 でもこのアルバムでは、「夢の島」で”吹き溜まりのヒーロー”たちが集まり空に舞い上がっていってしまった後、様々な人たちが現れそれぞれのやり方でストーリーを語り始める、そんなイメージがある。

 そして歌の主人公たちは現実に抗おうとするのではなく、じっと受け止めるようなトーンがある。そして、俺、が自分を語る歌でも、以前より"客観的な視点"が強く働いている気がする。そのせいか、おだやかで、やさしさすら感じる曲も多く、その空気感は「成長」から始める90年代のアルバム、そして「Seed」「はるか」までつながるものを僕は感じる。(「ROCKS」で、反骨的なヒーローは一度戻ってくるが)

 そういう意味で、このアルバムは彼にとっての”分岐点”なんらかの”けじめ”となる作品だったのかもしれない。

 そして、日本のストリート・ロックにとってもひとつの区切りとなったのじゃないか、と30年もたった今になって僕は気づいた。

 日本のストリート・ロックの主人公像に影響を与えたドラマ「傷だらけの天使」(同名の曲が小山にある)の最終回、肺病で死んだ相棒の亨(あきら。水谷豊)の死体の入ったドラム缶をリヤカーに乗せて、修(萩原健一)が向かったのが「夢の島」だった。そこで、修は亨を捨てて弔った後、空になったリヤカーを引っ張っりながらどこかへ走り去ってドラマは終わった。

 「傷だらけの天使」は「夢の島」で終わったのだ。

 だとしたら、日本のストリート・ロックも「夢の島」で終わるとするのでいいのではないか?

  
 ちょうどリリースも1989年、僕が日本のストリート・ロックの時代とした1979年~1989年とぴったりあてはまるし。
 
 ともかく、バブル全盛の1989年にこんなに切実な作品を作っていたことにあらためて驚かされる。いや、バブルという”光”が強くなった分、”影”もいっそう濃くなったのかもしれない。そういうバブル期の世の中の”影”を描き切った作品としても再評価されるべき。もちろん、今回のリマスタリングで、音質もぐっと素晴らしく、各曲のストーリーがよりまっすぐに伝わってくる。




「TAKUJI OYAMA with DAD 1989」小山卓治(2019)2019/04/03 15:45

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 「夢の島 30th Anniversary Edition」のリリースに合わせて、1989年7月に後楽園ホールで行われたライブ音源もCDとして発売された。「夢の島」のリリースから4か月後に行われたもので、1985年から4年にわたって小山のバックを務めていたバンド「DAD」の最後のライブという、貴重な記録でもある。

 「夢の島」というアルバムは、ソングライターとしての彼がストリート・ロック的な世界観にひとつのけじめをつけて新たなフェイズに向かい始めたものだと僕は考えているのだが、このライブのほうは、バンドとして今まで培ってきた”ストリート・ロック的なスタイル”が全開になっていて、あたかもそれを完全燃焼させるかのような切実な緊張感すら感じるものになっている。

 「夢の島」からの選曲は14曲中5曲と意外に少ない。興味深いのは、3年後のアルバム「成長」に収録されることになる「談合坂パーキングエリア」と「絶望のダンス」がすでにここで演奏されているということだ。どちらの曲も歌詞が違っていて「談合坂パーキングエリア」のほうはなんと主人公が女性になっている。歌詞の内容を考えるとやはり男性が主人公のほうがしっくりくるとは思うのだが、歌詞自体をもっと女性寄りの発想にしたらそれはそれで違った情感が生まれて面白いものになったのではないかなどと想像してしまう。

 そして、2曲ともアコギのみで演奏されていて、今聴くと「成長」に収録された音源よりかえって説得力があるようにすら感じられる。もっとも、打ち込みをミックスした勢いのあるサウンドが全盛だった90年代当時に、弾き語りだけでリリースというのは考えにくいものだっただろうが。

 このライブのハイライトは、最後の「Hustler」「カーニバル」「下から二番目の男」「Aspirin」と続いていくところだ。ここでの勢いは圧巻だ。ストリート・ロックンローラーとしての小山卓治、ストリート・ロックンロール・バンドとしての「DAD」の魅力が十分に伝わってくる。

 彼自身のライナーノーツによるとこのライブ後にメンバーとバーに行ったときにメンバーから脱退の意向を告げられ、そのまま「DAD」は解散になったとのこと。

 そんなことを考えると、やっぱり”日本のストリート・ロックの時代の終わり”は1989年で間違いない、と性懲りもなく僕は確信してしまったのだが、そんなこと思うとこのライブがまた特別なものに思えて、特に”ストリート・ロック”を強く感じる最後の4曲を何度もリピートしてしまうのだった。



































































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